気候のいい季節、毎年の事ながら葬儀社は暇になります。
その想定で執筆に入ったわけですし、案の定忙しい時期の半分
にも届かず終わる月かもしれません。

4月決算書類の作成、執筆、6月報告書類、法務局提出書類や
総会、理事会準備などやるべき事をこなす時期でもあります。

こんな時期になると、悩む葬儀屋さんは多くなるはずです。
最近は殆ど気になりませんが、数年前までは気になりました。
これを解消するのが、葬儀以外の収入源を持つことなのです。
低料金で施行する弱小葬儀社には不可欠な要素でしょう。

葬儀は儲かると参入した人達が、倒産しようが、閉店しようが
どうでも良いのですが、少額年金で生活する老人世帯、様々な
事情で生活に余裕の無い世帯に、手を差し伸べようと設立した
我々と意を同じくする葬儀社が撤退するのは、先々を考慮した
場合、ちっとも良いことはありません。
なんとかせにゃいかん・・・って俺は思っちゃうけど・・・
葬儀を始めた本人は、そんな事考えもしないのかな?
まぁ、大きなお世話であることは確かなんだけどさ。

うちの場合、新聞だ、テレビだと、あれだけ周囲に恵まれてた
にも関わらず、まともに食えるようになったのは設立から5年
以上経過してからだったような気がします。
(お金の管理はしてないので、正確に把握できていません)

これが正解だとしたら普通の葬儀屋さんなら、もっと食えない
時期が長く続くんじゃないかな・・・それじゃ存続できません。


北は北海道から、沖縄まで全県の人達が死後の心配をせず安心
して生きられる世の中にしたいですからね。
これが僕の中にある『核』だと改めて教えられました。

こんな風に書くと、時々言う「人の為にしてるんじゃない」の
言葉と言ってる事が、違うじゃないかと思うかもしれませんが、
全く違ってないのです。

例えば、あなたがサラリーマンだとして、自分だけ生活が良く
成れば良いと思ったとしても、そんな事あり得ますか?
不正をしない限り絶対にあり得ないのです。
自分の生活を本気で良くしたいなら、会社の業績を良くする事
以外に方法はなく、それも継続できる好業績が必須です。

だから自分の将来だけが良くなると考えても、一時は可能だと
しても孫子の時代は分らないのですから、初めから誰でも良く
なる方法を考えたほうが遅いようで、早いって事だし他人の事
なんて分りませんから、自分の近い将来を心配するだけです。

結果として。それが他人にも良ければ、それで良いだけのこと。
多分、他人より豊かな生活をした幼少から少年期、その後倒産
した少年期以降の経験からきている感覚だろうと思います。

執筆は面倒だし、その後の校正は更に面倒だけど、自身の核を
再認識させて貰ったり、自分の本音を知るには良いですね。

今回著書の『表紙・裏表紙』『もくじ』が出来ましたので掲載
してみます。


表紙裏表紙
 
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