4日間ほど葬儀が続き、何を書いていたか忘れちゃう・・・
ひまわりの花が咲く前に、木瓜(ボケ)の花が咲きそう。

前回同様、表紙別で180ページを書き終えました。
書き終えて前回とは全く違う感覚がします。
宣伝を入りたり、自慢したり、葬儀の様子を沢山入れり、自叙伝
の要素も入れると、200ページ程度なら簡単な印象でした。

しかし今回は会員さん、会員さんから繋がる一般消費者の方々を
対象とした事で、僕の講演を聞いたり、ブログを読んでくださる
方々でなく、初めての方にも理解して貰える文章にしなければ・・・
・・・・自分でハードル上げてどないすんねん! 

自分で突っ込みを入れながら、葬儀もしながらでしたが、わずか
180ページを書くのに2週間ほど掛かっています。
短期間で書くのが良い訳ではありませんが、長期になると始めは
何を書いたか忘れちゃうし、読み直すと、また最初から・・・
なんて事にも成りかねません。

そこで我が執筆の極意を一句・・・
『文才の、無い奴本を、書く時は、見直しはせず、書き終えるべし』

だけど、執筆が終えると、次は校正をする為、千明に全部読んで
貰って、誤字、脱字、意味不明にマーカーを入れて貰います。
その部分を再度修正するのですが、文字数を変化させると、先々
まで全部直す事になるので、決まってる文字数内で納まるように
修整するわけですから、言葉のテトリスって感じです。

それに、しっかり読み直すと本文そのものを、直したくなるのが
分っているから、極力読まずに直してみましたが、その結果・・
何を書いたか良く覚えてない・・・という現象が起こりました。

千明曰く、問題ありませんよ。
彼女は10年間一緒に動いているのですから、1を聞いて少なくも
7や8を知る人物ですが、一般の方は1は1でしかありません。
でもまぁ、会員さんが周囲の人達と葬儀談話になった時、こんな
考え方もあると話題にしてくれたら、少しづつ時代にあった常識
へと変化してくれる一石になると信じて書いてきました。

けど実際は何度も書きなおした部分があります。
その代表的な部分が、気の良いお年寄りに対して理不尽な葬儀社

宗教者への怒りを文字にしていると、頭の中で暴走することです。
一気に数ページほど書いて何度削除したことか・・・

それと僕の中ではどうしても納得できないのが『残る家族の生活
より大事な葬儀など絶対に無いし、絶対にあってはならない!』
普通の感覚、常識を持つ人間なら誰でも分る事なのに、それでも
尚、昔からの慣習を当然のように言う素人がいることです。

この人達の目的が分りません。 内容も正しくありません。


この悪習慣を無くすのは簡単ではないと、10年間で実感している
だけに葬儀社や宗教者が言うのは、商売だから仕方ないとしても
素人さんが評論家気取りで何か言うのは解せません。

もっと弱い人達側の意見を出して欲しいと思ってしまいます。


著書にも書きましたが施設で月に15万円×12か月×10年なら

1.800万円が自分達の生活費とは別に掛るのです。

葬儀になった時、10万円の金が無い人達はいくらでもいます。
でも人の心理として、お金が無いと言い難いのは分るはずです。
その人達の生活を守りながら、後悔させない葬儀をする為には、
宗教者の感覚、葬儀屋の感覚なんてどっちでも良いんです。

昔から行われた金の掛かる葬儀を当然と言う人達に問いたい。
葬儀が起きた時、自分の使える金が10万円無くても、同じ事が
言い続けられるのですか?

・・・とまぁ、こんな感覚が書き始めると湧いてくるわけです。
その勢いで書くと、相当過激な文章が出来上がります。
改めて読むと、結構言いたい事を言う僕でさえ、これじゃ印刷は
できんと思う内容になっていますが、これが本音なんだと思う。

執筆は大変ですが、自分の中にある核を再認識するには最高の
行動かもしれません。 これからも自分達が手を貸せる人達には
手を差し伸べますが、もう少ししたら同じ思いを持って葬儀屋を
している人達と、とりあえず意見交換の場を持つのも良いかなと
改めて感じた執筆でもありました。

来月半ばくらいには、印刷まで完了するだろうと思います。

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