執筆は100ページを超え、ほぼ書きたい事は書き終えた感ありと
思っていますが、執筆が最終段階に入ると、改めて自分自身の中
にある『核』のような部分が見えてきます。

多分、葬儀の仕事をする人達、ブログを書く人達の多くの発言を
みると、葬儀という儀式だけで捉えているだろうと思います。
 
でも僕は生活の一部として捉えている訳で、その違いかもしれな
いと執筆しながら感じました。 これから著書にも執筆しますが
その部分を簡単に書いてみます。

僕の年齢も大きく影響しているのでしょうが、老後という言葉は
将来来るものでなく、そこにあるものなのです。

団塊の世代には、90代の親がいたり、30代40代の子供達もいる
かもしれません。 認知症の親の面倒を看ながら働くのは容易で
なく、現役時代に貯めた1000万円を切り崩しながらの生活だと
して、子供達がしっかり稼いでくれるなら、何とかなるのですが
安定した仕事に就けない人も多く、自立できない大人が溢れてる
時代なのは、我が家、周囲を見渡せば誰でも納得できるでしょう。

個人的な感覚で言えば、1000万円の貯金ではどうにもならない。
2000万円でも難しい、だからといって3000万円、5000万円の
貯金など到底無理、だとしたら支出を抑えるのが先です。

日々の食費を抑えるのは限界があるし、抑え過ぎたら精神的にも
決して良いことはありません。 というか、、すでに節約済みと
考えて良いでしょう。

しかし病気や痴呆は完全に防げるものでなく、もしもの時は間違
いなくお金が掛かるのです。 なら何が節約できるか考えたとき
誰でもができる節約として真っ先に浮かぶのが、葬儀に関わる

全ての費用だと、普通の感覚、普通の神経を持つ人なら分かる

ことだろうと思います。


ところが過去の悪習の中で植え付けられた概念が、無理をさせて
きたのが今の葬儀なのです。 毎年減る少額年金だけを頼りにし
節約に節約し、楽しみも我慢し、衣食住の全てを我慢しながら、
精一杯生きる老人の持つ死後の不安を突き、これをすれば供養に
なる。 こうしなければ成仏できないなど、不安をあおることで
得た収入は、葬儀社の社員の生活、宗教者の生活を支えるために
使われるに過ぎません。 どう考えてもおかしいでしょ!?

勿論、生きる為の収入は絶対必要ですが、人の不安を煽ったり、
家族の生活が成り立たない費用を掛けさせるのは駄目でしょ。

いつも言うように、どんなに高額な葬儀でも、どんなに高い布施
でも、生活に支障の無い人達が好きでやるなら全く問題はないし
それが商売だと正々堂々と公言すれば、何の問題もない。

でも明日の生活すら分らない人は今だっているし、将来の事など
考えず、のほほんとして日々生活する人は多いけど、10年先が真
っ暗な人は巨万といます。 だから各々の生活に支障の無い葬儀
の選択肢があれば良いし、それを、自己感覚だけでとやかく言う
世の中であってはならん。 それが当然と考える世の中に向けて
進まなければ、2030年以降大変なことになる・・・

そんな思いが僕の中の『核』としてあるのだと分りました。
ただ勘違いして欲しくないのは、良い人、凄い人、素晴らしい人
だからしている訳でなく、明日は我が身、それだけの事です。

自分や子供達の事だから、今しておかねばと自分の為にしている
これだけは理解して欲しいと思います。


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