昨日まで葬儀と搬送が続き、ご安置している故人は一人だけに

なって肉体的な疲れは相当あるけど、精神的には余裕ができた。

今朝は隣接市の病院、市役所、斎場と回って戻ると葬儀をした

喪主である故人の長男(79才)が支払いにきてくれ言った。

「俺の年だからさ、今まで数えきれないほどの葬儀に出たけど、

社長の葬儀が一番!最高だね。 俺も兄弟も孫達もみんな感動

したよ」ちと褒め過ぎだし、感動させるつもりもないし、俺は

社長じゃねぇし、、って思うけど褒められて悪い気はしない。

内心では『だろ!? 家族目線を本当に実践するうちよりも、

温かい葬儀ができる葬儀社なんてあるはずないんだよ』っての

が本音だけど、さすがにくちには出せません。

それにしても、これほど感謝される仕事は過去に経験がない。

多分、僕を羨ましいと思う同年代は沢山いるだろうと思う。

自己満足で仕事して、家族が喜び感謝してくれ、世の中に必要

とされ、飯が食える・・・最高の人生と言われても不思議じゃ

ないし、葬儀の仕事だけど、遣り甲斐があり、仕事を嫌だとは

思わない、言葉を替えれば楽しいとさえ思う時がある仕事。

ただし氷点下の夜中に何の前触れもなく起こされ、厳冬の中を

出掛けなくちゃだし、僕の体調や仕事の都合に関係なく電話は

入ってくるし、休みはないし、酒は飲めないし、決して良いこ

とばかりでないが、その大変さや、辛さを含めて、人生楽しん

でるって事になるだろうと思う。

と考えながら何回か掲載している『言葉のプレート数十枚』を

眺めていると、それらしき言葉がしっかり書いてありました。

『人は誰でも生まれた瞬間から、自身の終幕に向かって歩み、

これを人生と呼ぶが、苦しさや、悲しさ、辛さも含めて、

己が人生を精一杯楽しむことこそが、最大の目的なり』

人は生まれた瞬間から不平等に生まれ、人様を羨ましいと思う

のも、、何で? どうして?と思うことも当たり前にある。

この現実を不幸と思い人を妬んだり、羨んだり、自分の人生を

悲観したり、親を恨んだりして生きるか・・・

生まれた時は裸ひとつと、今の現実を受け入れスタート地点と

考えるかで、人生は全く別物になる可能性大です。

自分に与えられた自分の人生を、精一杯楽しんで生きたのなら

人からどう見えようと最高の人生を生きた人だと言えます。

と、考えていると次の言葉プレートが目に入りました。

『葬儀用にってお金を貯める。 金は生きてるうちに使うもの

死んでから見え張って なんの意味がある』

死んだ後に必要な最低限の金を貯める・・・なら理解できる。

死んだあとの葬儀費用を貯める・・・今の生活を切り詰めて、

こうなるから理解も出来ないし、賛同もできない。

一言でいえば『馬鹿か!?』としか思えないけど、生活を切り

詰めても貯めようとする何かがあるのも確かでしょう。 

親戚や周囲の無責任な言葉が最も多いでしょうが、自分の死を

自覚する年になると、死への恐怖心を少しでも和ませよう、、

少しでも死後に良いところへ行けるようにと、神頼み的感覚に

近いものを求めるのでしょう。

この話しを突っ込むと、数十頁も書けるほどの内容になるので

今回は避けますが、これから書く部分を忘れないで欲しい。

家族も含め自分達の生活を楽しんで生きるのが最優先、、、

現実だけが、唯一確かなものであるという事。

自分や家族が日々の生活を楽しむには、少なからず金はかかる

のだから、家族の死後に掛けられる費用は、残る家族の生活に

支障のない範囲で行うべきものであるという事。

金が無ければ火葬だけで充分、もっと何かしてあげたいと思う

なら、余裕が出来たときに、できる事をすれば良い・・・

言葉のプレートにはありませんが・・・

あなた自身が故人だったらと考えてください。

あなたの葬儀をした事で、残る家族の生活が大変になる・・・

それでも、あなたは無理して葬儀をして欲しいですか?

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