『俺は五十路を過ぎても大人になれねぇ それが本音、、
すんげー大人に見える人だって大差ねぇ、、ぶってるだけ』
これを見ると、これらの言葉は50代前半で書いたようです。
今から10年前くらい、、この頃、三十数年ぶりで同窓会があり、
同級生達と会って話をしたが二次会、三次会と酒が入り、慣れ
てくると各々の持つ本質も見えて来る。
その時『なんだぁ俺だけ大人になれねぇんじゃなくて、みんな
大差ねぇ、、っていうか、俺より中身が爺で、俺のほうが若い
かもな』と思ったのを言葉にしたような気がします。
良し悪しは別にして、年令の加算と反比例して建前論が失せて
本音に近い部分で生きようとしている自分が表面化してきた頃
でもありました。
会社を興し、社長として生きた15年、それなりの満足感もある
のは確か、、、でも何かが違う、、本来の自分ではないと思い
ながらも日々の仕事に追われ、経営という人の問題に追われて
時に資金繰りに追われ、それでも将来性としたら決して明るい
とは言えない仕事の中で一人暗中模索していた頃でした。
同じ経営者達と会う機会は多く、みんな自分より大人なんだな
って思っていた頃でもあり、同級生はどんな変化をしているか
もっと大人になっているのだろうと出席してみたのです。
元々お酒は飲みませんから、客観的に冷静に同級生を観察した
のですが、久しぶりに話すと大人だと感じる人もいたのです。
『やっぱ、俺が大人になれねぇだけなのか、、、』
初めはそう感じていましたが、何時間も話していると、そうで
ない事に気付いたのです。 大人に見えた同級生は、ただの爺
でしかなかった、、、若さのない人達なだけでした。
人生を悟ったように感じたのは、単なる諦めを言葉で飾ってる
だけと分ると、今まで大人に見えた人達と同じと分ったのです。
と同時に人生を諦めた奴らと話しをして話が合うはずない・・・
これを大人と呼ぶなら、大人になる必要はないと思ったのです。
『悟る』とは諦める事でなく、悟る最大の語意は『迷わない事』
だと改めて考え思える時間となってくれたようでした。
若さとは迷い、ためらいながらも目的に向かって突き進む人達を
指すなら、迷わず、是非を知り、信念を持ち、迅速に動ける人が
『若き大人』だろうと勝手に思い込んだように記憶しています。
いくつになっても失敗を恐れず、挑戦し続ける意欲を失うことの
ない日々を過ごしたい、、それが自分らしい、、我が人生とでも
感じたのでしょう。 俺らしいわ・・・と思える言葉です。
しかし、この言葉はもうひとつ対となるものが書いてあります。
『自分の人生だから、自分の速さで、自分の価値観で、笑顔で
過ごせれば それで良い』
上に書いた僕の感覚を人に押し付ける気はないようです。
生まれた環境が違い、生きてきた環境が違えば、価値観も違うし
性格も考え方もあらゆるものが違って当然、、大切なのは人から
押し付けられる価値基準でなく、自分の中から湧き出る価値観や
基準こそ自分が大事にすべきもの・・・って事なのでしょう。
すんげー大人に見える人だって大差ねぇ、、ぶってるだけ』
これを見ると、これらの言葉は50代前半で書いたようです。
今から10年前くらい、、この頃、三十数年ぶりで同窓会があり、
同級生達と会って話をしたが二次会、三次会と酒が入り、慣れ
てくると各々の持つ本質も見えて来る。
その時『なんだぁ俺だけ大人になれねぇんじゃなくて、みんな
大差ねぇ、、っていうか、俺より中身が爺で、俺のほうが若い
かもな』と思ったのを言葉にしたような気がします。
良し悪しは別にして、年令の加算と反比例して建前論が失せて
本音に近い部分で生きようとしている自分が表面化してきた頃
でもありました。
会社を興し、社長として生きた15年、それなりの満足感もある
のは確か、、、でも何かが違う、、本来の自分ではないと思い
ながらも日々の仕事に追われ、経営という人の問題に追われて
時に資金繰りに追われ、それでも将来性としたら決して明るい
とは言えない仕事の中で一人暗中模索していた頃でした。
同じ経営者達と会う機会は多く、みんな自分より大人なんだな
って思っていた頃でもあり、同級生はどんな変化をしているか
もっと大人になっているのだろうと出席してみたのです。
元々お酒は飲みませんから、客観的に冷静に同級生を観察した
のですが、久しぶりに話すと大人だと感じる人もいたのです。
『やっぱ、俺が大人になれねぇだけなのか、、、』
初めはそう感じていましたが、何時間も話していると、そうで
ない事に気付いたのです。 大人に見えた同級生は、ただの爺
でしかなかった、、、若さのない人達なだけでした。
人生を悟ったように感じたのは、単なる諦めを言葉で飾ってる
だけと分ると、今まで大人に見えた人達と同じと分ったのです。
と同時に人生を諦めた奴らと話しをして話が合うはずない・・・
これを大人と呼ぶなら、大人になる必要はないと思ったのです。
『悟る』とは諦める事でなく、悟る最大の語意は『迷わない事』
だと改めて考え思える時間となってくれたようでした。
若さとは迷い、ためらいながらも目的に向かって突き進む人達を
指すなら、迷わず、是非を知り、信念を持ち、迅速に動ける人が
『若き大人』だろうと勝手に思い込んだように記憶しています。
いくつになっても失敗を恐れず、挑戦し続ける意欲を失うことの
ない日々を過ごしたい、、それが自分らしい、、我が人生とでも
感じたのでしょう。 俺らしいわ・・・と思える言葉です。
しかし、この言葉はもうひとつ対となるものが書いてあります。
『自分の人生だから、自分の速さで、自分の価値観で、笑顔で
過ごせれば それで良い』
上に書いた僕の感覚を人に押し付ける気はないようです。
生まれた環境が違い、生きてきた環境が違えば、価値観も違うし
性格も考え方もあらゆるものが違って当然、、大切なのは人から
押し付けられる価値基準でなく、自分の中から湧き出る価値観や
基準こそ自分が大事にすべきもの・・・って事なのでしょう。
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