現在時刻、2016年1月20日午前4時30分、
20日の午前2時30分過ぎ会員さんから、隣接市の病院で父親が
亡くなったとの連絡が入るが、本日の気温-4℃ですから昨日の
雪が残ってる路面は凍結しているので、病院へは我々が迎えに
行くから、あんしん館に来てくれたら良いと搬送が済んで、家族
待ちの状態、、、時間があるのでブログを書くことにしてみた。
『平凡が一番って言われた言葉の意味がやっと分かった頃には、
人生も終盤、、平凡に生きる、、簡単なようですっごく難しい』
僕の人生を知った人達は、くちを揃えて波乱万丈だと言う。
しかし当の本人は、それ以外の人生を知らないのだから普通とは
言わなくても、特別だとは思ってない。
この世に生を受けて50年、60年と生きた人達の中で、何事もなく
平凡に過ぎたと言える人がどれだけいるでしょう?
何を波乱と呼んで、何を平凡と思うかは人それぞれでしょうが、
平凡な人生と言い切れる人は1割にも満たないのでは?
僕自身のことを思い起こすと、若い頃は何事においても平凡より
非凡を望み、目標にもしてきたように思います。
5才まで母親の存在は知らなかったとは言え、人様より贅沢ので
きる環境に生まれ、人並みの心身の健康を備え、人並みの能力を
有して過ごした幼少期、少年期の15才で稼業倒産から生活は一変
そこからは平凡より波乱の人生だったかもしれませんが、多くの
人達は僕と同じような波乱含みの人生を歩むのでしょう。
でも、その時期があったからこそ平凡の良さが分る。
病気もせず生きてきた人より、健康に不安を感じながら生きてる
人のほうが『健康の有り難さ」は分るし、家族の崩壊を経験した
人のほうが『家族団らん』の素晴らしさは分るでしょう。
『戦争と平和』『豊作と凶作』などあらゆる事柄の良さを良さと
して捉えるには、真反対の経験をしているほうが理解できます。
・両親や兄弟姉妹がいて団らんのある家庭がある
・日々の生活に支障のない仕事があり、収入がある
・普通に仕事や勉学ができる心身の健康がある
・毎日同じように一日が始まり、一日が終わる日々の連続
平凡 = 刺激の無いつまらない生活
平凡 = 最高に幸せな時
平凡をつまらんと思うか、幸せと感じるかでしょうか。
この言葉を書いたのは50代始めでしょうから、人生50年と考える
なら、すでに人生の終盤なわけで、ようやく平凡は最高に幸せと
思える年代に入っていたという事でしょう。
平凡は自分の意志だけで続けられるものではない、自分、家族、
そして周囲までもの全てが、波乱のない、穏やかでないと成立し
ない状況の継続、、、それが平凡なんだと思う。
きっと平凡が幸せだって思えるには、そこそこ人生経験も必要に
なるだろうし、波乱の時期を生きる事も必要なのでしょう。
例えは下手かもしれませんが、外食はたまにすると旨いと思うし
贅沢な印象も受けますが、毎日外食していると食べたくなるのは
旅館の朝食のような食事、或いは、温かいご飯、味噌汁、それと
白菜の漬物、納豆、みたいな平凡なご飯が食べたくなる。
だけど、外食は飽きるけど、家庭的な平凡な食事は毎日食べても
飽きないから不思議、、、でしょ?
旅行が楽しい、その前提にあるのは帰る家があるからで、それは
平凡な日常があるからで、休日が楽しみなのも一緒・・・
ならば日々の何気ない平凡な毎日を、幸せと感じられる心もちで
過ごしたほうが何倍も人生は楽しめる。
但し、平凡に生きるのは思っているよりずっと難しい・・・
20日の午前2時30分過ぎ会員さんから、隣接市の病院で父親が
亡くなったとの連絡が入るが、本日の気温-4℃ですから昨日の
雪が残ってる路面は凍結しているので、病院へは我々が迎えに
行くから、あんしん館に来てくれたら良いと搬送が済んで、家族
待ちの状態、、、時間があるのでブログを書くことにしてみた。
『平凡が一番って言われた言葉の意味がやっと分かった頃には、
人生も終盤、、平凡に生きる、、簡単なようですっごく難しい』
僕の人生を知った人達は、くちを揃えて波乱万丈だと言う。
しかし当の本人は、それ以外の人生を知らないのだから普通とは
言わなくても、特別だとは思ってない。
この世に生を受けて50年、60年と生きた人達の中で、何事もなく
平凡に過ぎたと言える人がどれだけいるでしょう?
何を波乱と呼んで、何を平凡と思うかは人それぞれでしょうが、
平凡な人生と言い切れる人は1割にも満たないのでは?
僕自身のことを思い起こすと、若い頃は何事においても平凡より
非凡を望み、目標にもしてきたように思います。
5才まで母親の存在は知らなかったとは言え、人様より贅沢ので
きる環境に生まれ、人並みの心身の健康を備え、人並みの能力を
有して過ごした幼少期、少年期の15才で稼業倒産から生活は一変
そこからは平凡より波乱の人生だったかもしれませんが、多くの
人達は僕と同じような波乱含みの人生を歩むのでしょう。
でも、その時期があったからこそ平凡の良さが分る。
病気もせず生きてきた人より、健康に不安を感じながら生きてる
人のほうが『健康の有り難さ」は分るし、家族の崩壊を経験した
人のほうが『家族団らん』の素晴らしさは分るでしょう。
『戦争と平和』『豊作と凶作』などあらゆる事柄の良さを良さと
して捉えるには、真反対の経験をしているほうが理解できます。
・両親や兄弟姉妹がいて団らんのある家庭がある
・日々の生活に支障のない仕事があり、収入がある
・普通に仕事や勉学ができる心身の健康がある
・毎日同じように一日が始まり、一日が終わる日々の連続
平凡 = 刺激の無いつまらない生活
平凡 = 最高に幸せな時
平凡をつまらんと思うか、幸せと感じるかでしょうか。
この言葉を書いたのは50代始めでしょうから、人生50年と考える
なら、すでに人生の終盤なわけで、ようやく平凡は最高に幸せと
思える年代に入っていたという事でしょう。
平凡は自分の意志だけで続けられるものではない、自分、家族、
そして周囲までもの全てが、波乱のない、穏やかでないと成立し
ない状況の継続、、、それが平凡なんだと思う。
きっと平凡が幸せだって思えるには、そこそこ人生経験も必要に
なるだろうし、波乱の時期を生きる事も必要なのでしょう。
例えは下手かもしれませんが、外食はたまにすると旨いと思うし
贅沢な印象も受けますが、毎日外食していると食べたくなるのは
旅館の朝食のような食事、或いは、温かいご飯、味噌汁、それと
白菜の漬物、納豆、みたいな平凡なご飯が食べたくなる。
だけど、外食は飽きるけど、家庭的な平凡な食事は毎日食べても
飽きないから不思議、、、でしょ?
旅行が楽しい、その前提にあるのは帰る家があるからで、それは
平凡な日常があるからで、休日が楽しみなのも一緒・・・
ならば日々の何気ない平凡な毎日を、幸せと感じられる心もちで
過ごしたほうが何倍も人生は楽しめる。
但し、平凡に生きるのは思っているよりずっと難しい・・・
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