いやぁ朝起きたら真っ白な世界・・・

一昨年の大雪を思い出しましたが、今の車はスタッドレスも無く

あんしん館までの移動手段がありません。

寝台車、霊柩車ともノーマルタイヤだし、搬送が入ったら大変な

のは間違いないし、明日の午前中までは動きが取れないと考えて

いると、昨日友人宅に泊まると言ってた息子が帰ってきた。

「あれ? お前が帰れるなら あんしん館まで行けるよね?」と

言うと「俺、スパイク付のチェーンみたいの買ったし」とのこと。

ならばと息子に乗せて貰って、20㎝以上積もってるあんしん館に

到着、タイヤの履き替えを頼むが、やたら沢山あるのと、寝台と

霊柩どちらもクラウンなのにホイールが違って、どれがとの車に

合うのか分らない・・・とりあえず、カーポートの中で作業をし

ホイールに装着してないスタッドレスを履かせてもらう為、息子

千明の2人で出掛けたところで、ブログの更新に入ります。

今回のテーマ『旅行がなんで楽しいか分る?』から始まる言葉は

当時この質問をして求める正解を答えた人は皆無でした。

「綺麗な景色が見られるから?」

「地の物が食べられたり、地元の人達と知り会いになれるから?」

「休日の時間を全て遊びに使えるから?」

「友人や家族との時間を楽しめるから?」などなど色んな回答を

聞かせて貰えたし、どれも『なるほど』と思える回答で間違って

ないと思いますが、究極の答えは『帰る家があるから』です。

『旅行がなんで楽しいか分る? それはね、、帰る家があるから

なんだよ。 人生も一緒で終幕があるから精一杯生きられる』


流浪の旅、さすらいの旅、帰る場所の無い旅だったら、それでも

旅は楽しいでしょうか? 

数日、たとえその旅が30日、2か月だとしても旅が終われば自宅

へと帰るのが分っているから、旅を楽しもうとするのでは?

休日も同じ一週間に一度の休日、たまの休みだから楽しみに思え

るし、何をしようか? 何をして過ごそうか楽しもうとする。

定年後の人達のように毎日が休日の人に聞いてみれば分る。

毎日を楽しく過ごしている人のほうが圧倒的少数であるはず・・・

多くの人はバタバタと忙しなく過ごし、それでも楽では無かった

時代のほうが良かったと感じている人のほうが多いだろう。

寿司が旨い、と思うのはたまに食べるからで、毎日三食寿司なら

旨いとは思えなくなるし、僕のように殆ど外食の生活をしてると

旅館の朝食のような飯が食いたくなるし旨いと思う。

そう考えると人生も一緒だろうことが分ってくる。

もし人に寿命がなく、永遠の命だったらどうだろう・・・

一生懸命に働く意欲は湧くだろうか?

人は秩序を守って生活するだろうか?

どんなに偉い人でも、どんなに頭の良い人でも、極々凡人の人も

人がこの世に生を受けた瞬間から終幕は必ず来る・・・

短命の人もいれば、平均で80年ほど、長くても100年だろう。

10代、20代の人にとって80才は、すんげー先の話、、ところが

いつの間にか齢を重ね気がつけば60代・・・それが今の自分。

80才の人生なら、今まで生きた三分の一を生きれば終幕が来る。

僕がお馬鹿さんなのだろうか、この年になってようやく人生には

必ず終幕が来るのだと実感できるようになる。

もしかしたら、終幕は明日かもしれない、、平均の80才かもしれ

ないし平均より長いのかもしれない。 これだけ科学が進んでも

人の終幕、人生の長さは『神のみぞ知る』なんだと改めて分る。

終幕を前提として考えると、どうしても暗くなりがち、ならばと

今ある人生から考えてみれば良い、今の人生は旅行の最中と一緒

だと考えれば良い・・・旅行の最終日まで、どれだけ楽しめるか

やり残さないで過ごす為に何をすべきかを考えてみる。

体力的に動けるのは『何歳まで』と仮定し、スケジュールを作る

のはどうだろうか? 或いは『したい事20項目』なんてどう?

したい事を全て書き出し、出来たら消す、したい事が増えたなら

書き足せば良い・・・あとは考え方次第・・・

この続きの言葉もあるので、次回書いてみます。

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