『人生で最も大切なこと、それは出世でも、名誉でも、お金でも

ない、苦難も含めて人生を精一杯楽しむこと』


人より出世して、人より給料を貰って、サラリーマンより経営者

として、社会に出てからお金を追いかけた時期、社内で偉くなろ

うと踏ん張った時期、サラリーマンより経営者と肩肘張った時期

人様より若干の金銭的ゆとりと、役員や経営者として世間でいう

社会的地位を得、守る為に朝から夜中まで働き続けて残ったのは、

まだ借金のある自宅、何とか崩壊せずにきた家族・・・

その代償として支払ったのは、子供の運動会にも行けず、家族と

夕飯を食べる事もなく、父親、家長というより金銭製造運搬機?

として過ごした30年近い人生でした。

大した預金もないし、大した年金もない、一軒の自宅を得る為に

頑張ってきた人生? たった一軒の家が俺の仕事人生の価値か!?

そんな事も考えるようになった50代に入った頃、突然届いた父親

逝去の知らせ、裁判所からの手紙から始まった葬儀の仕事、80代、

90代の人達ばかりの葬儀なら、ある意味当然の流れ自然の摂理と

深く考える事も無かっただろうと思う。

しかし生まれて間もない赤ちゃんもいれば、10代、20代の若者も

いるし、僕らと同年代の人の死といくらでもある。

癌や肝炎もいれば、脳溢血、くも膜下出血、心筋梗塞、動脈瘤の

破裂など一瞬で命を落とす人もいるし、中には自分で命を絶った

人達も沢山みてきた。 50代前半で始まった仕事、当時は自分の

死と仕事は別物・・・死は対岸の火だったが、いつからか明日は

我が身と感じる自分がいるのに気づく・・・

当たり前だし、当然だし、誰でも分っているのに、実際は分って

ないこと・・・それが『人はいつ死ぬか分らない』って事だろう。

『人は必ず終幕を迎える』ってこと・・・

えーそんなの誰でも分ってるじゃん・・・と言う人は多いだろう

けど「まだ死なないけどさ」こんな感覚だろうと思う。

ところが現実は違う、スキーバスに乗って軽井沢で事故死された

人の中に誰一人として自分の死を予測した人などいないのです。

でもこれが現実・・・ まさか、万が一、そんな言葉を何十回と

家族から聞かされ、見てきて出た言葉なのだろう。

だからと言って、いつ終幕が来ても後悔の無い人生を送る・・・

非常に綺麗な言葉だし、その通りだけど、実際は難しい言葉だ。

僕のような煩悩だらけの凡人が持てるレベルの悟りではない。

でもひとつだけ分った事がある・・・それは・・・

お金を追いかける時期があっても良いし・・・

名誉や役職、あらゆる欲を追いかける時期はあって良いというか

経験すべき事のように思える・・・ 失敗も成功もするだろうし、

その中でしか学べない事は多い。 

人間という生き物も、自分自身の本質を知る事もできるからだ。

しかし僕らのような余禄の人生(何の根拠も無いが50才過ぎたら)

に入ったら、人生の目標を切り替える事も視野に入れると良い。

今ある自分、自分達夫婦の、自分達仲間の、あるがままの人生を

精一杯楽しむ事、思いっきり謳歌する事、お金があればある成り

無ければ無い成りで良い、毎日を楽しむ事が人生最大の目的だと

いうことに、僕の場合はようやく気付いたようです。

この話しは続きの言葉があって、その最初の部分がこれ・・・

『旅行がなんで楽しいか分る?』

次回はこの続きを書いて解説してみます。

↓↓↓↓
  
にほんブログ村


ひとつひとつの葬儀を確認・反省・向上する為に書く実践日誌でもあり、

これから葬儀を
経験される方々が後悔しない為に役に立てたらとの


思いを込めて書いています。 宜しければクリックをお願いします