2点目は『後悔の無い人生を生きた人なんて居ない、、よく考えれば
後悔だらけ、、それが普通の人、それが本音、だから人間、、』
改めて読むと僕の人生そのもの・・・世の中には無後悔人生を歩む
人だっているかもしれませんが、まぁ極々少人数でしょう。
小中学生まで戻れたら、いくつかしてみたい職業もあるし、かつて
高校一年の時今でいうスカウトをされた芸能事務所(当時超有名)
もあったのに、中途半端で群馬に戻ってきちゃったりとか、仕事馬鹿
のような奴でしたから奥さんや子供達に対して、もっと良い旦那、
良い父親でいられたはず、、とか、稼業倒産後に僕と一緒に住んで
生活の面倒をみてくれた祖父母に孝行すれば良かった・・・等々、
考え出したらキリがないほど後悔のネタはある・・・
ってゆーか、、俺の人生、、後悔の連続、、後悔だらけって感じ。
でも若い頃は勿論、40代になるまで、それをくちに出せなかった。
突っ張ってたのとは少し違って、他人だけでなく自分自身をも誤魔
化してたってのが一番近いように感じる。
それまでの自分は、もっと能力があるはず、俺の能力を活かせない
上司に力量がない、俺の生き方は、俺は、俺は、と責められる前に
攻撃は最大の防御とでも考えていたのだろうか、相手に反撃をさせ
ない、痛い所、弱点を突かれないような言動をしてたように思う。
それを変えたのが前回の『人は執着を捨てれば楽に生きられる』と
考えるようになってからだと思う。
何をきっかけにそう考えるようになったかは正確に分らないけど、
経営者になり小さな会社の長としての生活が始まり、色んな経営者
との出会いや地元の名士と呼ばれる人達との交流もあったが、僕と
は違う人種であり、建前の中で生きるのは性に合わないと分った。
また社員はあくまで従業員で、会社は自分達のものと主張する共同
経営者に対し、サラリーマン生活が長かったせいか、社員は仲間で
あり、会社は社員全員の物と考える奴だということも分った。
根本的な考え方が違うのだから、その溝が年々深まるのは必然で、
法人設立から5年後に分社、と同時に多額の借金を背負うが最後は
自己破産すれば良いと腹を括り、そこから本音で生きる事にした。
不思議なことに本音に近い部分で生きるようになってから、細々と
した後悔は相変わらずあるが、大道での後悔はしてないと思う。
当時6千万円ほどの借金があり経営の存続は難しいと単刀直入に
残った社員に伝えると、自分達も頑張るからとスタッフから言われた。
ならばと経営を存続したが、予定通り10年後には返済完了できた
事で社員と会社に対する考え方は間違って無かったと思えた。
本音で生きる事で、もうひとつ大きく変わった事がある。
僕は元々最悪の状況を予想しておく事で、予想より良ければホッと
するような性格でしたが、本音で生きるようになってから、事前の
無意味な予測はしなくなり『お化けが出たらどうしようと考えずに
お化けは出てから驚けば良い』といった心境に近い。
机上の空論は勿論、会議や話しで満足するような、絵に描いた餅は
意味も価値もなく、本気で何か始めるなら、とにかく動く事が大事
動きながら考えるのが最善、動けば良くも悪くも必ず結果は出る。
あとは出た結果に対し迅速な対応を続けるだけ・・・いつからか、
そんな考え方が当たり前になっている気がします。
今回の『後悔の無い人生を・・・』が、自分も当てはまると思った
人は、まず過去の人生の後悔を率直に、ありのままに認めること。
間違っても建前や嘘や虚栄を張ってはいけない。
それが弱い自分なら、弱さを認めることだし、傲慢でも、強欲でも
神経質でも、気が小さくても、器が小さくても全てを認める事こそ
新たな自分へのスタートラインなんだと思います。
その上で自分本来の性格を知り、本音に近い部分で生きてみる。
自分が成りたい人間像を描いて、成りきってみれば良い、空元気だ
としても元気が無いより遥かに良い・・・ そんな日々を続ければ
必ず何かが変わる。 これは僕自身が経験したことで、誰かに教え
られた事でもなく、本で読んだ事でもない実体験で得たもの。
多分、殆どの人は後悔だらけの人生が当たり前、だけどこれからの
人生は後悔せずに過ごせる自分になろうよ。 僕ができたのだから
誰でも出来る・・誰でも変われるって言いたかったんだと思う。
後悔だらけ、、それが普通の人、それが本音、だから人間、、』
改めて読むと僕の人生そのもの・・・世の中には無後悔人生を歩む
人だっているかもしれませんが、まぁ極々少人数でしょう。
小中学生まで戻れたら、いくつかしてみたい職業もあるし、かつて
高校一年の時今でいうスカウトをされた芸能事務所(当時超有名)
もあったのに、中途半端で群馬に戻ってきちゃったりとか、仕事馬鹿
のような奴でしたから奥さんや子供達に対して、もっと良い旦那、
良い父親でいられたはず、、とか、稼業倒産後に僕と一緒に住んで
生活の面倒をみてくれた祖父母に孝行すれば良かった・・・等々、
考え出したらキリがないほど後悔のネタはある・・・
ってゆーか、、俺の人生、、後悔の連続、、後悔だらけって感じ。
でも若い頃は勿論、40代になるまで、それをくちに出せなかった。
突っ張ってたのとは少し違って、他人だけでなく自分自身をも誤魔
化してたってのが一番近いように感じる。
それまでの自分は、もっと能力があるはず、俺の能力を活かせない
上司に力量がない、俺の生き方は、俺は、俺は、と責められる前に
攻撃は最大の防御とでも考えていたのだろうか、相手に反撃をさせ
ない、痛い所、弱点を突かれないような言動をしてたように思う。
それを変えたのが前回の『人は執着を捨てれば楽に生きられる』と
考えるようになってからだと思う。
何をきっかけにそう考えるようになったかは正確に分らないけど、
経営者になり小さな会社の長としての生活が始まり、色んな経営者
との出会いや地元の名士と呼ばれる人達との交流もあったが、僕と
は違う人種であり、建前の中で生きるのは性に合わないと分った。
また社員はあくまで従業員で、会社は自分達のものと主張する共同
経営者に対し、サラリーマン生活が長かったせいか、社員は仲間で
あり、会社は社員全員の物と考える奴だということも分った。
根本的な考え方が違うのだから、その溝が年々深まるのは必然で、
法人設立から5年後に分社、と同時に多額の借金を背負うが最後は
自己破産すれば良いと腹を括り、そこから本音で生きる事にした。
不思議なことに本音に近い部分で生きるようになってから、細々と
した後悔は相変わらずあるが、大道での後悔はしてないと思う。
当時6千万円ほどの借金があり経営の存続は難しいと単刀直入に
残った社員に伝えると、自分達も頑張るからとスタッフから言われた。
ならばと経営を存続したが、予定通り10年後には返済完了できた
事で社員と会社に対する考え方は間違って無かったと思えた。
本音で生きる事で、もうひとつ大きく変わった事がある。
僕は元々最悪の状況を予想しておく事で、予想より良ければホッと
するような性格でしたが、本音で生きるようになってから、事前の
無意味な予測はしなくなり『お化けが出たらどうしようと考えずに
お化けは出てから驚けば良い』といった心境に近い。
机上の空論は勿論、会議や話しで満足するような、絵に描いた餅は
意味も価値もなく、本気で何か始めるなら、とにかく動く事が大事
動きながら考えるのが最善、動けば良くも悪くも必ず結果は出る。
あとは出た結果に対し迅速な対応を続けるだけ・・・いつからか、
そんな考え方が当たり前になっている気がします。
今回の『後悔の無い人生を・・・』が、自分も当てはまると思った
人は、まず過去の人生の後悔を率直に、ありのままに認めること。
間違っても建前や嘘や虚栄を張ってはいけない。
それが弱い自分なら、弱さを認めることだし、傲慢でも、強欲でも
神経質でも、気が小さくても、器が小さくても全てを認める事こそ
新たな自分へのスタートラインなんだと思います。
その上で自分本来の性格を知り、本音に近い部分で生きてみる。
自分が成りたい人間像を描いて、成りきってみれば良い、空元気だ
としても元気が無いより遥かに良い・・・ そんな日々を続ければ
必ず何かが変わる。 これは僕自身が経験したことで、誰かに教え
られた事でもなく、本で読んだ事でもない実体験で得たもの。
多分、殆どの人は後悔だらけの人生が当たり前、だけどこれからの
人生は後悔せずに過ごせる自分になろうよ。 僕ができたのだから
誰でも出来る・・誰でも変われるって言いたかったんだと思う。
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