せめて直葬だけでも最安値で前橋隣接地域から対応すべきでは?

各地域から電話問い合わせを頂く度に心を痛めてきましたが、考え

るより行動すれば、出来るか、無理かの結果もおのずと出る・・・

そう考え準備に入っています。

そんな中、外付けハードの中を歩いていると、何年も前に自分で書

いた言葉を20枚ほど発見、改めて読むと『なるほどぉ』と自分も

思える言葉が多く、いい機会だから紹介させて貰う事にしました。

最初は『人は執着さえ捨てれば楽に生きられる』です

著書の裏表紙にも書いた言葉で僕の根底にあるものです。


僕はスーパーの息子として人様より裕福に育ちましたが、中学三年

小雨の降る15才のある日、夜の12時を過ぎると倒産しました。

倒産の記事は新聞にも出たのでそこそこの商売だったのでしょう。

その数日後、学校に行くと友人達は倒産に一切触れず温かく迎えて

くれましたが、自分の中での葛藤はありました。

今までは仮にボロを着ても、それがファッションだと思われたけど

今ボロを着たら『倒産したからと思われる』こんな感じです。

洋服、靴、持ち物、あらゆる物が今までより気になります。 

倒産、、僕にとっては生活の変化より周囲の好奇な目、親戚の心な

い言葉のほうが遥かに気になり傷つきました。 

それでも若さは素晴らしいもので『今までの僕は人より贅沢をさせ

て貰えただけラッキーで、今の生活が普通なんだし、アルバイトだ

った出来るし、大人たちは家屋敷や商売が無くなってうんぬん言っ

てるけど、どうせ生まれた時は裸だし、何も無ければ何をしても良

いって事だしな』と考えるようになると、倒産、父親の蒸発、一家

離散、など全てが前向きで肯定的に考えられるようになったのです。

僕は祖父母と一緒に住み、母親や姉妹達と別の生活だった事もあり、

分散後暫く経ってから母親の家に行ってみました。 

すると母親から出てきたのは「倒産さえしなければ」「昔は、、」

「本当なら、、」と全て過去への執着ばかり、聞いているのも嫌に

なり早々に退散したのを覚えています。

過去の栄光に浸りたい気持ちは分らないでもありませんが、現実に

戻れば辛くなるだけです。 過去に縛られ、昔の栄光を追い、あり

もしない素質や能力があるはずだと無理矢理思い込む・・・

この手の執着からは何一つ良い事はありません。

自分で自分を追い込むだけ、今の自分をより惨めにしてしまう。

僕の母親は人生が終わるまで執着を捨てられなかったようです。

その点、15才の僕は、今置かれた現実を直視するしかなく、全ては

そこから始まると思うしか無かったのが良かったのでしょう。

僕と同じような経験をした方はいくらでもいるでしょう。

或いは、今がその経験の真っ最中かもしれません。

今の人生、今の生活、今の健康、その全てを受け入れる事ができた

瞬間が、自分の幸せな人生のスタートラインだと思う。

『執着を捨てれば楽に・・』こんな思いを込めて書いたものです。

と言ってる僕なのに、あんしんサポートでは執着があります。

昨日のブログには続きがあるのです。

『あんしんサポートを継続させるには』です

誰もが死後費用の心配をせずに済む世の中になる為には、超低料金

葬儀が不可欠です。 その結果薄利となるのは誰でも分ることです。

大手葬儀社30万円、一般葬儀社20万円、低料金葬儀社12万円ほど

でしょうか、、それを追加不要で69.000円で実施するのです。

経営を成り立たせるには、他社の3倍~9倍の仕事量が必要となる

計算となりますが、それだけの依頼が続くのか!? が一点・・・

そして続いた場合、体力的に続くのか!?が二点目の課題です。

さらに自分達の意志を受け継いでくれる人達の育成が三点目です。

誰もが死後の費用を心配せずに済む世の中に・・・への『執着』が

経営の存続、気力体力の持続などへの課題を招いてるのです。

いかがです? これが執着の怖さではありますが、捉えようによっ

ては『遣り甲斐』『生き甲斐』に変換できる事もあるのです。

過去への執着は捨てたほうが利口ですが、時に未来への執着ならば

持ったほうが持続できる場合もあるように感じます。

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