21日は午前9時~の葬儀、火葬、清め中、あんしん館の掃除を済ませ

拾骨が済むと、そのまま群馬寄りの埼玉県まで車を走らせました。

12時過ぎに出発、途中のコンビニでおにぎりとパンとコーヒーを買って

食べながら移動、待ち合わせの3分前に現地到着です。

日本に長く住んでるブラジル人、日本で生まれ育った韓国人は日本語が

普通に話せますが、牧師さん達2名は日本語が分らない様子で通訳して

貰いながらの話しとなりました。

今回通訳をしてくれた彼とは前橋○○特区で知り会ったのがきっかけで

すが、今回の話合いに至った流れはこんな感じです・・・

世界に類をみない超少子化の日本、今のまま進めば日本自体が壊滅する

事になるのが誰でも分るほど深刻な問題です。 

日本が存続するには世界各国から人を集める以外に方法はありません。

日本で生活すれば、日本で終幕を迎える人達がいるのも当然です。

確か社会保険、国保、などは日本人同様に適応されていると思いますが

葬儀、墓、遺骨などは宗教観、国民性によって違って当然、どうなって

いるのかを少し確認すると、例えばブラジル人が一番多く住んでいると

言われる浜松市でも、ブラジル人の墓は殆ど無いのが実態のようです。

遺骨は祖国ブラジルに埋葬してあげたいから・・・と考える人も確かに

いるようですが、元々の葬儀感が違うというのも多々あるようです。

ブラジルはキリスト教が一番多く、土葬が6割ですが死後24時間以内に

土葬の法律があります。 暑い国ですから当然ですが、その結果遠方の

家族は葬儀に参列できないのも普通となっています。 

また亡くなった故人より残る家族の心を癒やす事が宗教者の主な仕事で

あるとも言ってましたし、香典という習慣もありません。

しかし日本の葬儀社に依頼すると、日本の感覚で葬儀する事になる訳で

日本に住む日本人でさえ葬儀社や宗教者の言いなりで葬儀し、後で後悔

している人は後を絶たない現実の中、外国の人達にとっては尚更のこと

日本ではこうしなければならない!?と思っても当然です。

宗教者としてお金は殆ど貰わず、精神的には家族に寄り添えたと感じは

しても費用面ではジレンマを感じていたそうです。 僕の存在を知った

当初はどんな人間か分らず、言ってる内容が現実とあまりにかけ離れて

いることもあって若干うさん臭い!? とも感じたようですが特区の中

何度か会って話しをし、周囲の人達からも話しを聞き、ホームページの

動画やホームページ、さらにブログ等々で本当なのだと思い支援要請を

してきてくれたようです。

南米、アジア、中東など、それぞれに宗教観も違うし、葬儀感覚も違う

のですが、話しをする僕の中では初めから何の戸惑いもありません。

「日本の中も仏教、神徒、キリスト教を始め様々な宗教感があるわけで

それはどんな国でも同じこと。葬儀の内容にしても県外は勿論、県内で

あっても葬儀の内容は細かく違うのが現実だから、個々の宗教観、葬儀

感覚を思うままに語り会えば、何が共通で、何が異なるのかも分る。

その上で共通項と異なる部分を上手く合わせれば、誰でも納得のできる

お葬式が生み出せるはず・・・、その条件の中には我々のできることと

できない事も当然含まれます」といった内容の話しをし、これを機会に

早急に話しを進める事で出席者全員が了解し終了。

前橋まで戻る車中ひとつの事が分ってきました。

あんしんサポートが考える葬儀の定義とは・・・

『葬儀は医師がサジを投げた瞬間から始まるもので、存命中に家族達が

できる事をしてあれば、逝去後に騒ぐ事も見栄や世間体など一切不要、

考えるのは残る家族の生活を守れる事が第一である』です。

この部分は何度となく書いてきたし、ホームページにも書いてあるし、

葬儀をされた家族への対応も全てそこが原点です。

言葉すら通じない初めて会った人達も、この定義は納得のようでした。

母国の違う外国人達と話しをしても違和感なく、すんなり話しができた

のは定義に宗教観や既成概念が無いことなのでしょう。

基本の葬儀定義は誰でもが受け入れられるもので、個々の家族が持って

いる宗教観、価値観は、その上に乗せれば良い。 今までの日本ならば

不要であった考え方であっても、これから必要なら過去に拘らず個々の

家族に当てはめられる新たな葬儀を生み出せば良い・・・

というか、新たな葬儀の考え方を生み出す・・・のほうが近いかも・・

多分、僕の中にあるのはこんな感覚なのでしょう。

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