今お一人ご安置していますが、今朝もドライアイスの確認をする時
お婆ちゃんは安らかな、穏やかな、眠ったような顔でした。
昨日の早朝に電話が入った非会員さんでしたが、指定された病院に
行くと見覚えのある喪主の顔がありました。
以前葬儀をされた方々の同僚として会葬された方だったのです。
あんしん館にご安置し打合せに入ると、いつものように話しを始め
家族葬に決まったところで、喪主がお姉さんに声を掛けます。
「ほらね、話しを聞いて納得したろ!?」
「うん 納得した」
「ん? なんの話」と聞く僕に喪主が言います。
「姉が納得してなかったんですけど、話しを聞けば納得するよって
言ってあったので・・・」
「へぇー で納得した?」と聞く僕に「うん 納得した」と笑顔で
応える60代後半のお姉さんでした。
話しはいつも通り、無理はするな、後に残る家族の生活最優先で、
さらに自宅に沢山ある分け位牌の処理方法や、遺影の事、などなど
いつも話すことを、いつものように話しただけです。
その中で改めて感じたことがあります。 それは亡くなった故人が
望むことでなく、望まないことです。
葬儀の話題の多くは「こうしてあげたい」「してあげられなかった」
「こうして欲しい」と望むことを中心の話しになりますが、故人が
親だった場合は特に『故人の望まない葬儀』もあるってことです。
後に残る家族や子供達の生活に影響が出る葬儀、或いは大きな負担
となる葬儀を望む親って本当にいるのでしょうか?
試しに葬儀に対してネットサーフィンしてみれば分ります。
その殆どは、残る家族の側から見た他人の意見か、対岸の火だから
言える葬儀常識論か、宗教者が自分達の飯のタネを壊されたくない
為の自己中な意見ばかりなはずです。
勿論、家族全員が同じ信仰に厚いとか、お金に関して心配ないとか
なら話しは違ってくるでしょうが、今回の家族も施設で長く過ごし
年金では足らず、毎月家族が負担する・・・
今の時代に非常に多いパターンです。 その親が自分の葬儀で更に
子供達に負担を掛けてまで葬儀をして欲しいと思うでしょうか?
個人的には葬儀の常識などと、対岸の火感覚で何か言ったりネット
での発言など見ると、少し腹が立つのが本音です。
多分、この人達は世間を知らないか、弱者を知らないか、勤務する
或いは経営する葬儀社しか知らないか、もしくは知識のない人達に
知ったかぶりをしたいだけ・・・なのでしょうか・・・
自分の家で家族が施設に入り、全く余裕が無くなったり、借金する
状況でも同じことが言えるのか? と問いたくなります。
僕個人としては常識を言うなら、人は誰でも必ず死ぬのですから、
『誰でも行える葬儀』を生み出すほうが常識に思えます。
でもまぁ、、常識は時代で大きく変化するものですから、ぼくらが
訴え、実践している葬儀が広がれば、それが常識になる日も来るで
しょう・・・なんて思って自分の信じる道を進むしかありません。
沢山ある仕事の中でも市民、国民全員が対象となる仕事をする時、
底辺を見て仕事を進めるべき・・・が僕の持論です。
だからかなぁ・・少しでも安く、少しでも良くって思うと、どうし
ても利益は出ませんが、それでも利用者にとっては決して安くない
のが本当のところでしよう。
実に難しいと思いながらも、難しいからトライする価値があるって
思う自分もいたりする・・・人間って面白いですね。
お婆ちゃんは安らかな、穏やかな、眠ったような顔でした。
昨日の早朝に電話が入った非会員さんでしたが、指定された病院に
行くと見覚えのある喪主の顔がありました。
以前葬儀をされた方々の同僚として会葬された方だったのです。
あんしん館にご安置し打合せに入ると、いつものように話しを始め
家族葬に決まったところで、喪主がお姉さんに声を掛けます。
「ほらね、話しを聞いて納得したろ!?」
「うん 納得した」
「ん? なんの話」と聞く僕に喪主が言います。
「姉が納得してなかったんですけど、話しを聞けば納得するよって
言ってあったので・・・」
「へぇー で納得した?」と聞く僕に「うん 納得した」と笑顔で
応える60代後半のお姉さんでした。
話しはいつも通り、無理はするな、後に残る家族の生活最優先で、
さらに自宅に沢山ある分け位牌の処理方法や、遺影の事、などなど
いつも話すことを、いつものように話しただけです。
その中で改めて感じたことがあります。 それは亡くなった故人が
望むことでなく、望まないことです。
葬儀の話題の多くは「こうしてあげたい」「してあげられなかった」
「こうして欲しい」と望むことを中心の話しになりますが、故人が
親だった場合は特に『故人の望まない葬儀』もあるってことです。
後に残る家族や子供達の生活に影響が出る葬儀、或いは大きな負担
となる葬儀を望む親って本当にいるのでしょうか?
試しに葬儀に対してネットサーフィンしてみれば分ります。
その殆どは、残る家族の側から見た他人の意見か、対岸の火だから
言える葬儀常識論か、宗教者が自分達の飯のタネを壊されたくない
為の自己中な意見ばかりなはずです。
勿論、家族全員が同じ信仰に厚いとか、お金に関して心配ないとか
なら話しは違ってくるでしょうが、今回の家族も施設で長く過ごし
年金では足らず、毎月家族が負担する・・・
今の時代に非常に多いパターンです。 その親が自分の葬儀で更に
子供達に負担を掛けてまで葬儀をして欲しいと思うでしょうか?
個人的には葬儀の常識などと、対岸の火感覚で何か言ったりネット
での発言など見ると、少し腹が立つのが本音です。
多分、この人達は世間を知らないか、弱者を知らないか、勤務する
或いは経営する葬儀社しか知らないか、もしくは知識のない人達に
知ったかぶりをしたいだけ・・・なのでしょうか・・・
自分の家で家族が施設に入り、全く余裕が無くなったり、借金する
状況でも同じことが言えるのか? と問いたくなります。
僕個人としては常識を言うなら、人は誰でも必ず死ぬのですから、
『誰でも行える葬儀』を生み出すほうが常識に思えます。
でもまぁ、、常識は時代で大きく変化するものですから、ぼくらが
訴え、実践している葬儀が広がれば、それが常識になる日も来るで
しょう・・・なんて思って自分の信じる道を進むしかありません。
沢山ある仕事の中でも市民、国民全員が対象となる仕事をする時、
底辺を見て仕事を進めるべき・・・が僕の持論です。
だからかなぁ・・少しでも安く、少しでも良くって思うと、どうし
ても利益は出ませんが、それでも利用者にとっては決して安くない
のが本当のところでしよう。
実に難しいと思いながらも、難しいからトライする価値があるって
思う自分もいたりする・・・人間って面白いですね。
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