先日、ずっとうちを応援してくれる人と話しをしていると「武井さんは、

お金のある人はうちに来なくて良いって公然と言うじゃん。
余裕の無い

人の葬儀が受けられないと意味ないってのも分るけど、
わざわざ公言

するのは何で? 何か意味があるんでしょ?」

実に感の良い人だと思いました。 その通り意味があるのです。

僕のブログや著書を読んでくれた方は知ってる通り、僕は坊ちゃん

育ちですから根が軟弱だと思っています。 また元々金のある家で

生まれ育ったし、今から50年前、中学一年生が15万円もするドラ

ムを平気な顔で「買って」と言えた奴ですからね。 根底では金銭

感覚も麻痺している奴だろうとも思っているのです。

その僕が葬儀の仕事を始める前は、美容室のオーナーで業務の中に

ホテルの婚礼美粧の仕事もありました。 

結婚式に400万円も掛かるホテルで結婚式をするのは、そこそこ

余裕があるのは間違いありませんし、当日は両家から寸志、心付け

などで僕には1万円が普通!?と思ってしまうほどです。

寸志は貰って当然と考えてしまう麻痺した感覚が問題なのです。

着付けをするパートさん達の中には、寸志のあるなしで人によって

あからさまに違う対応をする人も出てきます。 

当初、寸志に関して関知しませんでしたが、全て没収して分配する

方法に切り替えが必要になりました。

この貰って当然感覚の代表といえば現在の宗教者です。 読経して

戒名つけて40万円・50万円が当然だと思うのは、それが習慣として

続けられているからです。 これを、あんしんサポートに置換えて

みると大きな葬儀で大きな売上と利益や、何万円も寸志として貰う

ような葬儀が当たり前になったら、直葬と遺骨供養一切で10万円

直葬なら8.9万円の葬儀を同じ気持ちで行え続けるでしょうか?

余裕の無い家族の立場に立ち続けられるでしょうか?

どんな状況でも初心は変わらない・・・言うのは簡単ですが、人の

心はいつの間にか変わるのが普通です。

月に1万円の小遣いのお父さんが、10万円貰えば懐はホクホクに

思えるでしょうが、いつも10万円持ち歩くのが普通になったら、

1万円だけ持って歩くのは不安になるはずです。

そう、人の資質や人間性より、日々の生活習慣のほうが人を変える

のは間違いありません。 勿論、外面は何とでも言えますが大切な

本音が変われば、相手への対応が変化するのも必然です。

物も同じで事業が隆盛な経営者の頃ポロシャツ3万円、靴は数万円

乗ってる車は600万円のセルシオで当然でした。 その人間が日々

生活が大変な人の事が本当に理解できると思いますか?

これが・・・この感覚が怖いのです・・・

ならどうするか!? きっと色々な方法はあるのでしょうが、僕は

『今の感覚を守れる方法』をとることにしました。

自分の感覚を麻痺させるような仕事は受けないという事でした。

・お金のある人なら、うちで無くても何処でも葬儀はできる

・できるだけ一般葬は受けない(他市は一切受けない)でした。

ホームページでもパンフレットでも一般葬は表記してありません。

実際は一般葬を受けない訳でなく、状況により受けていますが前橋

斎場限定での施行です。

たった一人の最低料金の直葬でも、その人、その家族の立場に立ち

続けられる為、温かい心で接し続けられる為の措置なのです。

金のある人は受けないと公言する葬儀屋、何て嫌な奴と思われても

不思議でないし、自ら依頼者を減らす要因にも成りかねませんけど

本当に我々を必要とする人達にとっては、心強い言葉になるなら、

そして初心を貫くしかない状況に追い込む為にとった苦肉の策が

お金のある人は・・・発言となったのです。

立ち上がって丸8年、法人設立から7年、今ではパイオニアと呼ば

れることも増え、群馬県内ではそこそこ認知されてきました。

今まで支えてくれた方々、利用された方々があって今があります。

その初心である理念・・・

「葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事」

「葬儀は亡くなってするものでなく、医師がサジを投げた時から」

「葬儀とは家族が家族との別れを受け入れる時間のこと」

「供養にお金は掛からない、けど心が無いとできない」

「葬儀は形式でなく家族の持つ温もりの中で送ってあげて欲しい」

そして「誰もが終幕後の心配をせず生きられる世の中にしたい」が

当たり前の世の中になるべきだと思っています。

ただ、これだと恰好良過ぎでしょ!?  何か良い人みたいでしょ!?

でも良い人ではないし、立派な人でもないし、自己満足してるだけ

なのは少し前のブログに書いた通りなので、誤解無きよう・・・

僕の場合、良い人は演じる事になるので疲れますから無理です。

ただひとつ、既存の葬儀屋さんとは全く違う土俵に立っています。

そのひとつが理念で葬儀を仕事にしていますが「己が人生を精一杯

楽しめる世の中にしたいから、その壁のひとつである葬儀を行う」

で分るように葬儀は目的でなく、目的を達成する手段と言えます。

それにしてもこの人、元々頭の良い人なのは分ってはいましたが、

予想以上に鋭い感性を持たれた方でした。

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