昨日きた3軒の相談者の一人は、対象者である父親の妹ですから、
叔母さんですが、これがやたら喧しい人で、寺の住職と友人らしく
叔母さんですが、これがやたら喧しい人で、寺の住職と友人らしく
お金が無くてもお坊さんを呼んで葬儀するのが当然と言うらしい。
費用は出してくれるなら、なんの問題もない・・・
しかし費用は出さず、くちだけ出すと言う・・・
暫し話しを聞いていたが、ごちゃごちゃと堂々巡りの話が続く・・
お金がないから葬儀費用は極力抑えたい・・・
けど叔母さんがくちを出してくる・・・でもお金は出さない
対象者である父親は焼いてくれれば良いと言ってた・・・
遺骨は川に流してくれりゃ良い・・・(って法的に問題あるし)
けど喧しい叔母さんが強い・・・
まぁ よくあるパターンで決断力に乏しいタイプの人は、ある程度
言い切るほうが決断し易い人の為、暫し話しを聞いたあとで言う。
「葬儀後、自分達の生活出来なくなっても良いの?」
「いや、それは困ります」
「なら簡単だよ。 縁を切るつもりで葬儀すりゃ良い」
「縁を切るんですか?」
「そう、じゃなかったら生活出来なくなる。 残る家族の生活まで
考えてくれる人なら最初から、その辺の話しは出てくるのに聞いて
いる限りでは自分が住職を知っているから・・・だけでしかない。
ようは親戚の葬儀さえ自分の都合に合させ、費用は出さないって事
なんだから自己中心的なのは間違いない。 なら、あなたも自己中
感覚で対応すれば良いだけのことでしょ? それでも何か言ったら
人の家の葬儀にくち出さないでくれ!って縁切り覚悟で言うだけ、
但し最初から縁を切り話しをする必要はない。 事前にお父さんの
意思を叔母に伝えて、父親の希望通り直葬をします!と言い切る。
ただ遺骨に関してはお寺も含めて後で相談に乗ってください。って
言うしか無いかな。 それでも何か言ったら縁を切れば良いだけの
ことだよ。自分達家族の事を考えず、自分の感覚を押し付ける親戚
なんていらねーだろ!? 食えなくなったら生活の面倒見てくれる
訳ではないでしょ? ってゆーか、そんな親戚は間違いなく疎遠に
なるのは必定だから問題はないよ。 自分達の生活を守るにはこれ
しかない。僕が言えるのはここまで、後は自分で決めるしかない」
きつい言いかたに聞こえるかもしれませんが僕の本音なのです。
金も出さず、好き勝手言う嫌な親戚の多いこと・・・
多分日本人の多くは、僕と真逆の発想をするでしょう。
「親の葬儀なんだから、お金のあるなしの問題じゃないだろ!?」
って言われて「そうですよね・・・」なんて言う人は多いんだけど
僕なら「自分の葬儀で残る家族の生活が大変になる葬儀など、親は
絶対に喜ばないし、悲しみます。 ・・・だから親が安心して成仏
できるような葬儀をします。御面倒は掛けませんので家族と故人の
意思だけで葬儀します」とでも言うだろう。
ようするに、何も言わせないってことです。
あなたが今まで生きてきた中で、その喧しい親戚にどれだけ世話に
なりましたか!? 葬儀に口出しされても当然なほど世話になった
人達ですか? まずそんな事はないでしょう。
縁を切っても困りはしませんし、気楽になれるはずです。
昔のことわざにもあります。「親しき仲にも礼儀あり」ってね。
今の時代「親しき仲だから礼儀あり」のほうが適切かもしれない。
親しき仲だからこそ、家族の経済状況も分るのですから、家族では
言えない事を代わりに代弁してあげ、お金は掛けなくて良い・・・
掛けるべきではないと率先して、家族の真意が貫けるよう露払いを
してあげられるのが、とるべき親戚の姿勢ではないでしょうか?
ってことは、あなたが親戚の立場なら、くちを出すなら金も出す、
金を出さないなら黙っている。 家族の真意を正確に見抜いて援護
射撃のできる、人として温かみのある人になって欲しいものです。
最後に喧しい親戚対策として有効なのは・・・
「全て葬儀の内容は決めておき、故人の意思だと伝える(出来れば
書面にして署名・印鑑があれは尚良し)」
間違っても逝去後に相談などしないこと。
それと菩提寺ですが、お金に余裕が無ければ、本来ならお金が無い
から依頼できないと伝えるのが筋ですが、住職が話しの分らない人
なら、直葬してから埋葬時に相談も仕方ありません。 その結果の
対応で納得できなければ墓を閉めて寺を変えれば良いだけです。
寺を利用するか否かは法律ではありませんし、寺に強要される事も
ないのです。 特にお金に余裕が無い時、どんな対応をしてくれる
かを見れば住職の人となりが分るもの・・・人として疑問が湧いて
くるような寺なら出て後悔などしませんよ。
何度でも言いますが、葬儀で自分達の生活に支障が出るほどの無理
だけは決してしてはならないのです。 それが理解できない人なら
相手が親戚だろうが、宗教者だろうが、葬儀社も全て敵です。
あなたを食い物にする人達だと思って間違いありません。
・・・この手の話しを書いていると熱くなる自分がいます。
困っている人を苦しめて何が楽しいのか!?
それに気づかないお節介な馬鹿さ加減にも呆れるばかりです。
こんな人達って苦労した事ないのかね?
ありますよ!って言うなら学べないお馬鹿でしかありません。
・・・こうして書いていると、同じような思いをしている人達って
日本中にいるわけで、相談できる人もなく、相談できる場所もない
そう考えると、ちと心が痛みます・・・
僕らと同じような考え方をする人って沢山いるはず・・・
その人達が立ち上がってくれたら、助かる人はいくらでもいるし、
現状の悪習慣を断ち切れるきっかけくらいは作れるのに・・・
葬儀社を立ち上げるって、それほど難しいのでしょうか・・・
話しが違う方向に向かいそうなので、今回はここまでにします。
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