って『運の良さ』について最後に触れました。
今朝、うちの千明と話しをしていると『運』ってなんだろう?
運って良くなるものですか?
変えられるものですか?
運は自分の意志で変えられるものではないですよね?
これが千明の運に対する考え方のようですが、僕は運には2種類が
存在しているように感じています。
(1)は千明の言うように、自分ではどうにもならない偶然
(2)は日常の言動に左右される必然
(1)の典型は『生まれた家』『容姿』『基礎能力』などが典型的
であり、これらはどうにもなりません。
従って人生は初めから平等でないと思っているし、初めから平等で
ないと受け入れる事で、いつか良い時が来るはず、棚からぼた餅、
こんな夢物語や妄想でなく、自分が目指す場所に向かって進もうと
する事、それは自分自身の問題と考え行動する事に繋がると思う。
生まれ持ったもの以外でも、突然の事故や病気を始めとして自分の
意思や注意では、どうにもならない事があるのは確かです。
これらは千明の言うように、自分の意志では変えられないもです。
が、この部分を掘り下げても、今回の話しに意味はないので話しを
先に進めると『運』にはもうひとつあって、偶然より必然と思える
良い運、悪い運・・・ってのがあるように感じています。
この『運』は『流れ』と言葉を変換しても良いかもしれません。
35才の株式会社設立からずっと経営者として意識して、逆らわずに
きたのが『流れ』でした。 この流れに関して言うと良い流れだけ
ではなく悪い流れでも同じ、自分自身や自社の居場所や現況、更に
周囲の状況に至るまで、正確な状況把握が客観的にできるまでは、
流れに身を任せ無駄な体力を使わず過ごし、自分の体力で泳ぎ着く
目標物が現れたら、体力、気力の全てを使って辿り着く。
こんな考え方をして25年以上の歳月が過ぎました。
ここで不思議なのは『ことの良し悪しが分るのは、ずっと先のこと』
だということです。 後から振り返ると、その時は最悪の状況だと
思っていたことがチャンスだったとか、決して良い事では無かった
のに、結果でみれば分岐点だったとか・・・
説明し難いのですが、こんな経験のほうが多いように感じます。
いくつか経験例を挙げてみましょう。
① 蒸発した父親逝去の知らせが入り、最後を看取ってくれた女性が
老女だと思い、父親がお世話になったお婆さんなら、何ができる
かは分らないが、とにかく会ってみようと会った事が、あんしん
サポート設立のきっかけとなる。
② 経営してきた美容室に依存した生活にも限界が来ると、20数年
頑張ってくれたスタッフにお店を無償で譲る覚悟をし、その旨を
伝え実行した事で、今のあんしんサポートでの生活が可能となる
③ また賃貸している美容室では家賃が払えないからと、別の場所に
美容室を移動したいと言われ、その旨を家主の法人に伝えた事で
今のあんしん館が誕生するが、その際、我々が支払った全金額は
わずか21万円だけで、安置室、式場が所有できることになった
④ あんしんサポート設立当初、葬儀施行も出来ず、霊柩車もなく、
全てを既存葬儀社に依頼していましたが、もっと低料金で葬儀を
したいからと、依頼方法の変更を申し出ると「なら全ての依頼は
受けない」との回答から全て自社施行するようになり、当時目指
していた5万円火葬支援パックが可能となる
これらのような細かい点なら、他にもいくらでもありそうです。
しかし、先の事は分りませんが、過去の経験だけで言うとすれば、
これら全体一連の流れについてです。
蒸発し家族を捨てた父親の死、→
その父親の最後を看取ってくれた女性に対する気持ち →
20年以上も頑張ってくれたスタッフに対する感謝の念 →
あんしんサポート設立初志を妥協せず貫いた弱者への思い →
いかがでしょうか? 全て肯定的な前向きな発想から生まれている
ように感じるのは、自分だからでしょうか?
成功と呼ぶにはほど遠い事業内容ですが、少なくとも60才になった
親父が遣り甲斐を感じ、生き甲斐を感じ、人から感謝されながら、
人の為に自分の健康に気遣いながら日々過ごしていられる・・・
もし、これを読んで『運が良い』と思うなら、その運は偶然でなく
日々の思考、言動から生まれた『必然』だと思います。
人生の半分は自分の意志ではどうにもならない事かもしれません。
しかし後の半分は自分次第なのかもしれません。
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