6月7日午前10時、17名での湯かん納棺が始まります。

僕にとっては、いつもの湯かん納棺、家族葬、お別れの儀、出棺と

続く家族葬一連の流れですが、集まった従兄達は長野県、埼玉県

から来ており、群馬県は自分達家族だけのようでした。

故人を挟んで座っている17名の顔が時間を追う毎に縦に揺れる・・

大きく頷く回数が増えているのは、僕からも分るほどでした。

家族葬、花入れ、出棺、火葬と順調に進み、火葬が済むまで待合室

での待機となった時、集まった親族から矢継ぎ早の質問です。

「いやぁ 勉強になりました」から始まり、自分達の知っている

当たり前に思っていた葬儀感とは全く違う話に、納得し共感された

だろうことは「同じような所は長野県に無いですか?」「埼玉県に

無いですか?」の言葉でも分りました。

拾骨までの時間、殆どこの話題だったと喪主に聞かされました。

でも特別な事を言った訳でもなく、普通の感性を持つ人なら誰でも

「そりゃそうだ」という事ばかりです。

》『葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事、だから無理は

  絶対してはいけない。直葬費用しか無いとしたら、火葬だけすれ

  ば良い。もっとしてあげたかったと思うなら、お金に余裕ができ

  たら後々の法事で、できる事をしてあげれば良い』

》『葬儀とは家族が家族との別れを受け入れる時間のこと、それが

  宗教より遥かに優先されるのは、普通の人なら当然と思うはず、

  間違っても宗教者の為の葬儀、葬儀屋の為の葬儀はしない事。

  ついでに言うと『誘導商法』『霊感商法』には注意すること』

》『葬儀で何をして、何が不要かは、自分が故人だったら何がして

  欲しくて、何が不要かを基準にすれば良いし、葬儀で使う物は

  誰が見ても違和感の無い物であれば問題ない』

》『供養にお金は掛かりませんが、心が無いとできません。供養で

   勘違いしている事のひとつが、大金を掛けて墓を建て供養したと

  言ってる人が多いが、墓で供養をくちにするなら、建てる事では

  なく墓に行くことです。 もっと言えば墓参りが大事なのでなく

  墓参りをしようと思う心が大事、だから故人にちなんだ事を見聞

  きした時など、故人を思い出したら、その場で手を合わせる事、

  故人を忘れないことが供養です』

あんしんサポートの葬儀、湯かん納棺は以上のような、話しをしな

がら、実際はもっと色々な話しと、家族親族の手で旅支度を整える

笑いあり、涙ありの温みのある1時間です。

儀式やしきたりより、家族が温かく送ってあげるのが基本です。

って・・・こんなのって当然だし、普通だと思うけど、感動される

家族が多く、勉強になりました。目からウロコでした。と言われる

って事は、現状の葬儀が当たり前から外れているだけのことです。

当たり前の事を当たり前に行い、それをみんなが当たり前だと思い

葬儀に高額な費用は不要だと、誰もが思う日が来れば良いですね。

お年寄りは葬儀の心配をせずに生きられるし、子供達も同じです。

モラルは変化すべきではありませんが、常識は時代とともに変わる

のが普通です。  葬儀の常識も大きく変わろうとしてるのでしょう。

本音を言えば、昔のように一軒の家に二世代、三世代が同居をして

暮らして頃に戻れたなら・・・人間味のある。 温かみのある。 

人の痛みの分る。 昔の良き日本人に戻れるのかな・・・

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