葬儀の知識を持つ人が少ないからでしょうが、大した知識もなく、ろくに経験もなく
狭い視野の知ったかぶりをする人がやたら多いのも葬儀の特徴です。 これは一般の人
狭い視野の知ったかぶりをする人がやたら多いのも葬儀の特徴です。 これは一般の人
だけでなく、葬儀社に数年勤めていた人も一般の人と大差なく、互助会などの勧誘する
おばちゃんは素人さんと同じレベルだと思って間違いありません。 また何十年も葬儀
会社に携わっている人なら聞く価値があるか!? と問われたらNOです。 何十年と
業界にいる事と、利用者が本当に聞きたい事は別で、旧態依然の業者や寺主導の葬儀が
全てだと思い込んでいる固定概念の強い人が多いからです。
一般人であれ、葬儀社の人であれ、宗教者であれ、信頼に足るか否かは比較的簡単に
判断できますから、まずは相手の話に耳を傾けましょう。 自分の意見は言わず、その
人が何を話すかを聞いていれば、話に特徴があるのが分ってくるはずです。
① 故人の供養だ、故人の為だと亡くなった人の心や供養や安らぎを中心に話す人
② 普通は、一般的に、本家だから、親戚が、世間が、常識だと家族以外を中心に話す人
これらの人は葬儀社でも宗教者でも、友人知人でも信頼に足る人物ではありません。
自分達の利益の為に故人と供養をだしに使っているか、自分の懐は痛まないからと好き
勝手放題を言っているか、自分の世間体や見栄の為に言う、このどれかです。
結論から言うと、あなた方家族が話しを聞く価値のある人達ではありません。
その理由を箇条書きにしておきます。
□ 金の掛かる故人の供養より大事なのが『残る家族の生活』子供でも分ることですから
『残る家族の生活を守れる範囲で』という大前提があってしかるべきなのです
□ 僕も『供養』とくちにしますが、突き詰めると故人の為にしているのではありません。
全ての供養は、残る家族が供養できたと安堵し心が癒されるからであり、残る家族の
心が癒され、安堵し、後悔させない為に行っているのです。
こう書くと、そんな事はない、あの世はあって・・・ と言う人もおられるでしょうが、
実際にあるか無いかは死んでみなければ分らないのが本当のとこで、死んだ経験のある
人など皆無ですし、それは宗教者でも同じことなのです。
現世で徳を積み、清く人の為に生きた人は極楽に行き、悪行を重ねた人は地獄に行くと
誰もが信じれば、この世で悪行を働く人は減り、自分本位でなく、人の事を考えられる
人間として生きられるとの教えは、仏教用語の『嘘も方便』って事なのでしょう。
あの世で幸せになれるよう自分だけでなく、家族の為、人の為に、世の為に生きよう
と思う人が増えるなら、実際のあの世がどうであれ価値ある嘘だと思います。
しかしお金儲けの為に霊感商法のような、脅しのような事を言ったり、世間だ何だと
家族の事情を無視した内容は、それが誰であれ百害あって一利なしと考え、そうそうに
話しを終わらせるのが賢明な判断となるはずです。
残された家族の生活を第一に考えた発言をし、世間体や一般論に苦言を呈してくれる
人がいたら、家族の事を本当に心配してくれている人です。大切にしてください。
でも自分達の事を心配してくれるからと、単に安く済ませれば良いというものでなく
何が必要で、何が不要かの判断基準は自分自身で持つ必要があります。 それには葬儀
で使用する葬具や儀式や項目を知らなければなりません。 そのうえで自分が故人なら
何をして欲しいか、何をして欲しくないかと判断すれば、要不要は見えてきます。
今その為の本を書き始めています。 葬儀屋が高い安い、布施が高いと言ってみても
具体的解決策が示されなければ意味ないからであり、葬儀品の由来、考え方などを知る
ことが要不要の基準になると思うからです。 例えば、ひとつの例を挙げてみましょう。
『塔婆(とうば)・卒塔婆(そっとうば)』
上部が五輪の形、空、風、火、水、地をかたどった木の板に筆か印刷で筆文字の入った
もので、元々は亡くなった(入滅)釈迦の遺骨を納めたストゥーバという建物が語源で
サンスクリット語を日本語にしたのが卒塔婆(ソットゥバ)です。この部分までは由来
ですが、これを立てるのが供養と思えば供えれば良いし、思わなければ自分の思う供養
をすれば良いことです。(長さは1m~1.8mほどで)2.000円~10.000円ほどです。
実際のところ偏りのない知識を持つのはネットでも難しいかもしれません。 大抵の
場合『供え供養します』といった感じの言い回しで、大前提が供養だと書いてあるから
ですが、上に書いたような家族の味方なら、この程度の知識は持っているはずです。
例に挙げた塔婆、白木膳一式、守り刀など絶対に知っているべき項目の由来も知らずに
家族と事前相談をしているとしたら、それは事前相談ではなく入会受付に過ぎません。
また棺はあの世に渡る船ですから・・・など後からとって付けたような言い方をされて
納得しているようでは鴨葱もいいところです。
この言い回しは注意が必要です。 ある程度の期間入院してた人が亡くなった場合、
「故人はお風呂に入りたかったでしょうね」と葬儀屋さんが言うのは問題ありませんが、
「ならば業者湯かんでお風呂に入れてあげましょう」となったら誘導商法です。
自分が故人だとしたら、見ず知らずの人達が来て素っ裸にされ、身体の隅々まで洗われ
旅支度を整えてくれる・・・あなたはして欲しいですか!? この質問湯かん納棺の時
僕が良く聞きますが、今まで一人も「はぃ」と言った人はいません。
全員が「嫌だ」と即答する・・・自分が嫌なら故人だって嫌だろうなと考えるのが最も
自然だと思いませんか? この誘導商法が非常に多いのも葬儀の特徴のようです。
葬儀経験者の方は棺を選びませんでしたか? 3種類の中からの選択なら大抵の場合
真ん中を選ぶのが普通の心理です・・・が、少し変だと思いませんか? パックの中に
棺は入ってたでしょ? なのに何故違う物を選択させるの? 使えない物がパック内に
入ってるって事!? いかがですか? 僕の言ってること変ですか? 言われてみれば
そりゃそうだ・・・って思う人のほうが多いはずです。
葬儀屋さん、宗教者の誘導商法、霊感商法、に惑わされず、本質を見抜く知識だけは
持つべきですが、難しいなら信頼に足る人を見つけておくことです。
それも難しい人は、本が書き終わるまで少しお待ちください。
それも難しい人は、本が書き終わるまで少しお待ちください。
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