前回ブログで寺の住職なのか、霊感商法なのか、いずれにしても器が小さいと思う

人の事を書き、僧侶だから偉い訳でもなく立派な人間とは限らないと、あらゆる職業

について色メガネで人を見てはいけない事も書きました。

これは葬儀の話しを聞く相手にも言えることです。 本日2月26日は午前10時30分~

高崎市で勉強会の講師をする中でも「葬儀の何が聞きたいか!? 何を知りたいか?」

明確にして聞かないと、元々知識の無い分野なだけに洗脳されると話してきました。

 例えば何事にもマナーと呼び、これが本来の作法です! あなたの方法が間違って

いますと堂々と否定している人を、たまにテレビで見るでしょ!? でも良く考えて

みれば変な話しが多いのです。 もっとも顕著なのが食事の作法やマナーで、ほんの

少し考えれば誰でも分るはずです。 箸の持ち方が・・・初めに食べるのは・・等々

その人の言う通りに食べたら、食べた気がしないでしょ!?と思える事ばかりです。

 食事の基本ってマナーですか!? いいえ、楽しく食べることです。 周囲の人に

迷惑を掛けず、楽しく、美味しく食べるのが食事は最善の方法だと思うのですが・・

食事の目的は、心身の健康を保ち、或いは改善し、家族団らんの時間でもあったりと

とにかく生活の中でも、心身の休まる潤いの時間であるべきだと思っています。

これを読む皆さんはどう考えますか!? マナーが最優先されるべきですか? それ

とも僕のように楽しく食べるのが第一ですか?  

 僕と同じと考える人達に言います。 葬儀の話も全く一緒です。

① 一般的に多く行われている葬儀社や菩提寺主導の葬儀について知りたいなら、どこ

  でも求める話はしてくれますので、選択する必要はありません。 テレビで話しを

  している葬儀アドバイザーとやらも、僕の知る限りこのレベルです。

② 現行の葬儀に疑問があったり、お金が無かったり、一般に言われる常識と違う話が

  聞きたい人は、聞く相手をよーく吟味するしかありません。

 ついでに書いておきますが、常識とは時代で変化するものであり概念とも言えます。

昔は親子三代で一緒に生活するのは常識でしたし、その時代に生まれたのが年金制度

ですから、年金は年寄の小遣い程度でも良かったのです。 しかし今は老人夫婦だけ

での生活や老人の一人暮らしも当たり前の時代であり、子供達も親が一人住まいだと

しても大して気にしていません。 これが常識の変化の一例です。

テレビでも、講演会でも、聞いた話を鵜呑みにするのは危険です。 

毎日のように来る相談者は各家庭毎に全て持っている条件が違います。 また葬儀の

依頼においても亡くなり方、亡くなった人の年令、財布事情など全て違うのに、どの

家も全て同じ対応をするほうが不自然です。

 前々回400名を超える葬儀の話しをしましたが、会葬礼状が足りず渡せなかった方

が結構いたそうで500名~の葬儀だったようですが、問題は人数や葬儀内容の事では

なくて、18日に亡くなり、22日の葬儀と通常より1日長く自宅にご安置した事です。

実際は21日の葬儀でも全く問題は無かったのに、あえて22日に設定したのは、突然の

事故死で息子を亡くした両親に対し、一日でも長く自宅で一緒に過ごして貰うことで

息子の死を少しでも受け入れて欲しいと考えたからです。 通っていた高校の周囲を

霊柩車で一周したのは前々回書いた通りです。

 いかがですか!? これは今の常識や一般論に無い発想なのです。 しかし多くの

家族が本当に求めている葬儀に近いのは間違いありませんが問題は見極め方法です。

次回は『意見を聞くに値する人か否かの見極め方』です

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