昨日書いた58才お母さんの逝去、息子達にとっては突然の死とも言え、母親の顔を

みる度に泣き出す息子に昨夜こんな風に言いました。

「明日が葬儀だから今晩は通夜なんだけど、お母さんが住んでた家に泊まるよね。

なら、お母さんが好きな音楽をかけて、好きな食べ物を食べながら、家にある写真

全部出して、写真を見て一枚一枚振り返りながら、良いことばかりでなく、悪いこ

とでも何でも家族の話しを気の済むまでするのが、今できる一番の供養だと思う」

「分りました。そうします」と息子達と故人の姉は帰っていきました。

あんしんサポートで行った過去の葬儀で、一般的に行われる宗教者の入る通夜式は

7年前に1度しかありません。 その理由は今回の話しで分る通りです。

信仰心の厚い家族は宗教的通夜を行えば良いと思いますが、それ以外の方はいつも

言うように『葬儀は家族が家族との別れを受け入れる為の時間である』と考えれば

自分達家族の場合は何をすれば良いか分ってくるはずです。

残る家族に後悔を残さない為に・・・

これで分るように家族毎に何をするか違って当然でもあります。

》今回のように突然の逝去なら、家族の死を受け入れる時間にすれば良い

》ずっと病院で過ごし自宅に帰りたがってた故人なら、自宅に連れていけば良い

》近場で思い出の場所があるなら。納棺して連れていけば良い

》賑やかな宴会が好きなら、みんなでワイワイ騒ぐも良し

今回は母親の逝去を息子達が受け入れる為の時間に使うのが最善の選択でしょう。

良く葬儀をされた家族から「バタバタして気が付いたら遺骨になってた」といった

感覚の話しを聞きますが、親戚に気を使い、宗教者に神経を使う葬儀に何の意味が

あるのか!? 疑問でしかありません。

普段付き合いの無い親戚なら、普段から親交ある他人を葬儀に招いたほうが良いし

やたら神経を使う親戚なら来ないほうが良い。 極論ですがようは家族が家族との

別れを悲しみ、受け入れられる時間のほうが何より優先されるべきってことです。

でも宗教者の読経が供養に・・・と言うなら、先に書いたように信仰心の厚い人は

その通りでしょうが、さして信仰心の無い家族なら、供養の考え方も違います。

というか・・・何度も書いていると思うのですが、供養にお金は掛かりませんし、

最高の供養は家族にしかできません。 人任せでは本当の供養はできません。

供養したいと思うなら『故人を忘れないこと』です。 

故人にちなんだ出来事とか物とか、人に触れたら思い出してあげること・・・

これが供養です。

そして最高の供養は『残る家族が元気な笑顔で過ごす姿を見せ続ける事』です。

今回のように両親の葬儀なら尚更のこと、息子達家族の幸せに暮らす姿より故人が

安堵できることなど無いのです。 

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