今日12月30日晦日は年内最後の家族葬です。
いつもは設定の無い午後4時の最終炉を予約してあり、午後1時から湯灌
いつもは設定の無い午後4時の最終炉を予約してあり、午後1時から湯灌
納棺、午後2時15分から葬儀、初七日法要、午後3時10分から家族が
棺の中に花、食べ物などを入れてお別れの儀、午後3時30分出棺です。
斎場まで1分の距離にあるのがあんしん館ですから、3時45分頃迄には
火葬炉に火が入り、午後5時には拾骨も済んで葬儀は終了するでしょう。
年内の依頼はあるでしょうが、この先は全て年明け3日以降の葬儀や火葬
となるので、家族にとって少し大変な時期となります。
さて今回が『新年の目標、夢の立て方と実現する為に』とも言える一連の
ブログ最終回、実践をはじめたのにつまづく人の多い障害を記します。
目標や夢が決まって、色んな人にも話せば反応の言葉も返ってきますが、
まだ何もできてないのに、そこそこ出来たような事を言ったり、つまらん
見栄や虚栄を張ると、その目標の実現は一気に遠ざかります。
僕が嫌うことのひとつに『 嘘 』があります。
まれに『嘘も方便』が必要な場面も確かにあり、病人が元気になって元の
生活に戻る気満々なのに、末期癌だから先は短いと傷口に塩を塗るような
ことをせず、元気になれと励ますほうが病人が明るく過ごせるなら、或い
は嘘をつき続けたほうが、周囲の人達が幸せに過ごせるような場合、方便
としての嘘も必要だと思いますが、基本的に嘘はタバコ同様で百害あって
一利無しと呼べるものだと思えます。
見栄や虚栄も同じで信用を無くすことはあっても、信用を得られることは
無いと断言できるほど無くていいものです。 ただし目標や夢を実現する
ための原動力と活かし公言するのは、単純に嘘とか見栄で片づけられる事
ではありませんので次元の違う話です。
しかし僕の知る限り、そんなケースは殆どなくその場しのぎの嘘や見栄と
その場で分ることのほうが多いのは皆さんもご存じのとおりです。
俗に言う「そば屋の出前」的な感覚を持った人は結構多いです。
約束の時間直前になっても到着しない相手に電話をすると、必ず言い訳を
する人、あと数分で到着するからと言って数十分後に来る人ってあなたの
周囲にもいませんか? それっていつも同じ人ではありませんか?
何を考えての嘘発言かなど、どうでもいいことですが、その人の事を信用
できますか? その場を繕うための嘘を言い、昔はこうだったと本人にと
っては過去の栄光をくちにし、聞いてて分るような見栄や虚栄を張る人を
あなたは信頼できる人だと思えるでしょうか?
多分、殆どの人はNOと答えるでしょう。 なのに何故そんな馬鹿な事を
続けるのか? これも潜在意識への刷り込みの結果なのでしょうか。
毎日のように嘘を言い続けると、いつの間にか嘘でないような感覚になる
自分がいるはずです。 潜在意識は善悪の区別ができません。
これを利用したのが洗脳で、人を殺すことが悪いのは誰でも分っている事
なのに世間を良くする為に殺す必要があると洗脳し続ければ、その人の中
では殺人が悪でなく、善として認識される事もあるのです。
嘘や虚栄を言い続けると、その人の中では嘘では無くなる!? といった
感覚に近いのだと思います。
嘘をつく根底に見栄や虚栄がある事も多く、それをプライドと称する人も
多いのですが、それがプライドであれ、自我であれ、傲慢であれそんな事
よりも人としての信用を無くすのは大きな問題でり、自身も大きな不利益
でしかないと知るべきでしょう。
似たような話で、僕はブログに本音に近い部分で生きていると書いていま
すが、それを見聞きした人に多いのが「本音で生きられたら楽だろうけど、
本音で生きるなんて無理だからさ」といった内容の事を当然のように語る
人が多いです。 そこで言います「なら本音で生きた事あるの? ありも
しないのに生きられないは変でしょ!? 本音で生きてみてから言うなら
納得するけどさ、ただ本音で生きるとは我がままに生きる事じゃないよ」
自分に嘘をつかず、自分に見栄を張らず、前向きに生きようとすることが
大前提の本音で生きる・・・本音に近い部分で生きるということです。
今回の中で言いたいのは・・・
・できない事は出来ない、知らない事は知らないと言える人間であれ
・できない、知らない事は恥ではないが、それを続ける事が恥と知る
・能力が劣る、不器用は恥ではないが、向上心と行動力が無いのは恥
・お金がないのは恥ではないが、お金を得る努力をしない人は恥である
すぐに見破られる自己防衛の嘘は信用を無くすだけ・・・
本当の事を言い、自分に過ちがあるなら、言い訳の前に謝ることです。
普通の人は正直に言い、素直に謝る人にいつまでも怒り続けることもなく
その人の信用を下げることもありません。
ひとつの嘘をつくと、その嘘を隠すため、更なる嘘を重ねる結果になる事
だって珍しくありませんが、良いことは何ひつとありません。
新年を迎えるに当たり、新たな目標を立て、夢を持ち、己が人生を精一杯
謳歌し、楽しみ楽に生きる術として「執着」と「嘘や虚栄」を捨てる事が
最速であり、過程においても嘘と虚栄は不要な日々になってくれたなら、
きっと来年の後半は、今年より心穏やかな自分に気づくでしょう。
そして目標や夢の実現よりも大切なこと『日々平穏な心で過ごす幸せ』を
実感されているかもしれません。
↓↓↓↓
にほんブログ村
ひとつひとつの葬儀を確認・反省・向上する為に書く実践日誌でもあり、
これから葬儀を経験される方々が後悔しない為に役に立てたらとの
思いを込めて書いています。 宜しければクリックをお願いします