あんしんサポート基本理念
■ 葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事、
だから絶対に無理をしてはいけません
■ 人生最大の目的は、己が人生を精一杯楽しむこと
■ 葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事、
だから絶対に無理をしてはいけません
■ 人生最大の目的は、己が人生を精一杯楽しむこと
2つの理念は異なるものでなく対を成すものです
》葬儀が家族同士の別れを受け入れる為に、大事な事と教えてくれた
のは東北大震災でした。 2011年3月、今から3年半前のこと
なのに一瞬で家族を失った人達は、今でも海を見て帰ってくるのを
待っている・・・それは亡くなった姿を見てないからです。
》理念の中にある「残る家族」→「今生きる」と変換しても良い。
》残る家族だけでなく、今ある人生を精一杯楽しんで生きるほうが、
ずっと大事、終幕は好む好まざるに関わらず、いつか必ず訪れる。
あんしんサポートは葬儀の為の葬儀をするつもりはなく、各々人生を
精一杯楽しみ、生きることが大事で、それが結果として悔の無い人生
となるのだと考えます。
以上を踏まえた上で葬儀を考えてみましょう。
良く理解できない現実
①「故人に対して失礼」理解不能と同義語を良く目にします
・湯かんの際は故人に失礼のないよう素手で行っております。なんて
書いてある納棺の会社もありますが、全く理解できません。
もし故人が肝炎だったり、伝染性のある疾患があったなら担当者は
命がけで行うってこと? 手袋をはめて行うのが道理、家族だって
故人だってそんな事を望んでいません。危険なパフォーマンスです
②「故人の供養、供養と追加で売りつける営業」
・だいたい供養に金が掛ること自体が不自然です。
・供養にお金は掛かりません。心があればできることです。
・供養したいと思うなら故人を忘れないことです
・家長が亡くなったなら残った家族全員が、日々元気な笑顔で過ごす
姿を見せ続ける事こそが、最高の供養なはずです。
・戒名も関係ありません。 読経も関係ありません。それらは全てが
生きている人達の対しての「供養したつもりの心」でしょう
③「宗教とは本来、死す者にでなく、生ける者の為にあるはず」
・己が人生をどう生きるか・・・の教えを説いているのが宗教です
・家族の死に直面した時、故人の人生から何かを学んで、己が人生に
活かし肥やしにする。或いは悟りに近づくのが残る家族の葬儀だと
考えています。
色々書き始めると、きりがないほど書くことはありそうですが、今回
ブログのテーマ、あんしんサポート基本理念からみた葬儀・・・
■ 生きている人の為の葬儀を大前提に企画、立案、施行しています。
① 自分の葬儀であれば、人生を楽しむ事のほうが先、その上で無理
せず行える葬儀を提供しています。
② 家族の葬儀であれば、残る家族の生活に支障の無い範囲の葬儀施行
■ 精一杯のことをしてあげたい家族の心情に沿える内容と料金の葬儀
・本音では葬儀の形なんてどうでもよく、火葬だけの葬儀で充分だと
思っていますが、一般の人達は世間体だの、親戚だのと色んなしが
らみがあるのも現実であり無視はできません。 そこで一般的な各
葬儀料金でワンランクも2ランクも上の葬儀ができるよう企画する
ことで世間体に支障なく、財布に優しい葬儀の企画、立案、施行を
行うことで絵に描いた餅でない事を実証しています
① 一般的な火葬料金20万円弱 → 家族で送るお葬式16.9万円
② 高めの火葬料金30万円 → 家族葬(宗教者付)29.9万円
③ 独居老人や跡取りのない老人 → 火葬+散骨+納骨10万円
これらは全て、亡くなった人の為の葬儀より生きている人達の為にと
企画立案し、実践しているものです(2015年1月~実践予定)
だから安っぽい物は使いません。誰が見ても違和感のないものだけを
使用しているのです。
あんしんサポートのお葬式とは、と聞かれたら・・・
■ 人生を楽しむ為の障害のひとつが葬儀だから葬儀をしている
■ だから散骨だけでなく、永代供養墓さえも所有しているのです
■ 死んだ人の為など霊感商法のような商売には興味ありません
■ 葬儀は大事ですが、それは形式ではなく家族が家族と別れる為の
時間であり、葬儀は生きている時から始まっていると考えます
■ 家族の経済的負担を最小限に抑える努力を続けてきました
■ 『家族が温かく送ってあげる』これが全てのような気もします
そして・・・初めから全ての人を対象としていません。
弱者支援が根底の流れであり、一銭も掛からない葬儀が最終目標で、
本来、逝去後~骨壺までの一連の流れは、行政が行うべきことだと
考えています。 その体制ができるまでの布石を打っています。
家族が家族の死から人生とは・・・生きるとは・・・などを学ぶのと
同じように、僕は葬儀の度に救われている気がしています。
それは、煩悩であり、傲慢であり、未熟であったりしますが、よほど
大きな負を背負っているのか、ちーっとも無くなりません。
でも何かから救われている気はします。
それに人の為にしているのではありません。 それほどお人好しでは
ありませんし、そんな立派な人間でもありません。
だから嫌な相手の依頼は受けません・・・人の為なら、たとえ相手が
嫌な人でもしているはずです。 その意味では完全なる商売でもない
ような気がします。 事実利益は一般葬儀社の20%(五分の一)が
いいとこでしょう。 状況により採算度返しなど良くあることです。
でも、遣り甲斐と生き甲斐は最高にあるし、過去の仕事人生の中では
胸を張って生きている点はピカイチ、だから続けているのです。
だもん・・商売前提の葬儀社に家族から見て負けるはずありません。
人が旨い!と言ってくれるのが喜びの料理人は、どうしたら旨いって
感じてくれるか、あらゆる面で試行錯誤しますが、それが苦ではなく
好きでしていることなのです。 また食べた人が「旨い!」と言って
喜ぶ姿を見るのが、なりよりのご褒美ですから自分の味覚や感性より
食べる人達に合わせるのが当然と考えられるはずです。
食べる人は年齢も違うし、労働量も違うし、育った環境も違うのです
から、全て同じ味付けでは駄目です。
身体を使って汗をかく仕事をしてきた人なら、身体が塩分を要求する
でしょうし、デスクワークの人ならカロリー控えめを好む傾向が強く
なるはずです。 一人一人のお客様の本音、本質を短時間に見抜いた
料理を提供できるのも・・・こうした人なのです。
だから普通の商売人では勝てないのです。
僕はブログに今の心境を書くようにしています。
と同時にどんな仕事をしている人でも、参考になる部分や反面教師的
部分があってくれたら、読んで貰っても無駄にはならない。
と思いながら書いていることも多いです。
今回のテーマは正直難し過ぎました。 数回で書ける内容ではないと
書き始めて分りました。
時間を作って、著書第二段を書きたいと思っていますので、その中に
でも「葬儀とは・・・」が書けたら良いと思います。
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