現役の人達に問う・・・「引退後の人が最も辛いのは何だと思う!?」
刹那的に捉えれば、千差万別でしょうし「お金がない」「不健康」と
刹那的に捉えれば、千差万別でしょうし「お金がない」「不健康」と
誰でも思いつく事は勿論ですが、人は自分の存在が誰にも必要とされ
なくなったと感じる事、世捨て人のような存在の自分を感じることが
一番辛いことのようです。 現役時代は人の上に立ち、敬われた人の
ほうがより強く感じるようで、会社勤めで役員だったご主人のほうが
専業主婦の奥さんより遥かに大打撃を受けるってことでもあります。
一昨日の話の中で数人の名前が出てきましたが、人それぞれです。
① 自分なりの生き甲斐、遣り甲斐を持って上手に生きてる人
② 何か生き甲斐を見つけたいと模索しながら生きてる人
③ あり余る時間を潰すことだけを考えながら生きてる人
若干記載の仕方に問題はあるかもしれませんが大別すると3つです。
③の人は、定年後は悠々自適に過ごそうと思っていたのでしょうか?
定年直後は、夫婦で旅行に行ったり、のんびりしたり、朝寝坊したり
今まで出来なかった事をするようですが、一年もすれば飽きてきます。
これから先の人生を考えれば、そうそう無駄遣いもできません。
旦那さんは粗大ゴミのような邪魔者扱いをされ、くちうるさい旦那が
いつも家にいるので奥さんは精神的に疲れる・・・
誰が考えても良い老後にはなりそうもありません。
②の人は、③の人と同じように過ごしたあと、何か生き甲斐のもてる
ことを探そうとします。 趣味、習い事、そうそう僕が若い頃によく
聞いたのは、喫茶店でも開いてお客様と世間話でもしながら過ごす。
なんて人も多かったようですが、実行している人は殆どいません。
何か生き甲斐を見つけれられた方はラッキーで、多くの人は見つける
ことが出来ず、③の人と同じような生活になるようです。
肝心なのは①の老後を上手に生きてる人・・・
全てではありませんが、僕の知る上手に生きてる人には共通点がある
ように思えます。 60才の定年後ではなく、50代前半から模索を
始めた人達が、60代には自分なりの生き甲斐を見出しておられる。
我々がNPO法人な事もあって、NPO法人、任意団体などの方々と
接する機会も多いのでしょうが、①と②の方を多く見かけます。
その中で①の方を一人簡単にご紹介します
彼は昭和24年生まれの65才、大企業の社員として30数年間を過
ごした後、50代半ばから社の制度を利用して65才まで出向として
給与を貰える方法を選択、55才~NPO関連の仕事を続けながらも
自分に適した仕事を模索して来られたようです。 60才を迎える前
には自分で任意団体を作って6年後の今、毎日を元気な笑顔で過ごす
姿が彼の人生を象徴しているのは間違いありません。
ついでに僕自身のことを振り返ってみると、サラリーマン役員だった
仕事から35才でホテルの婚礼着付、美容室、貸衣裳など事業とする
株式会社を起業し、山あり谷ありの20数年を過ごしてきましたが、
52才の9月、八王子裁判所から届いた父親逝去の知らせをきっかけ
にして、葬儀の世界へと当時は嫌々ですが入ることなる。
ところが入ってみると、適職!?もしかしたら天職!?と思えるほど
僕にとって精神的に楽な仕事だと分り、先行きの不安を引きずってた
美容室を長年頑張ってくれた店長に無償で譲る決心をして、あんしん
サポートの事業展開を進めることになる。
それから5年後、あんしん館開設をする5ケ月前の決算で法人閉鎖の
作業に入り、あんしん館開設1か月前に譲渡完了となりました。
今はあんしんサポート一筋の生活ですが、多くの同級生が定年する中
これからの人生を模索している中、我々を必要とする方々から声援を
受け、応援され、やるべき事も山積みされるほど忙しく、生き甲斐の
ある、遣り甲斐のある、そして張りのある人生を送らせて貰ってます。
彼の場合は自分で模索、僕の場合流れの中でと過程は全く違いますが
ともに50代の早い段階から動いてきた結果でもあります。
心底思える生き甲斐を見つけるには、少なくとも数年の時間が掛かる
という事なのかもしれません。 そうでないかもしれませんが、もし
時間が掛かるなら、過ぎてからではどうにもなりません。
「人は必ず終幕を迎える」と言えば誰一人として否定しません。
しかし「死」が対岸の火感覚なのも事実です。 定年のある会社なら
必ず退職する日は来るし、生きていれば老人になるのです。
50才を過ぎたら、60才以降の人生を築き始める事を勧めます。
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