今日16日朝8時30分、総合病院で血液と尿検査で血糖値と肝機能
検査をして貰い、9時30分7軒8名の納骨式に向かった
検査をして貰い、9時30分7軒8名の納骨式に向かった
11時~「一周忌」「49日」「13回忌」「仏壇閉眼供養」を全て
一緒にして貰う家族のあとで、11時30分~「あんしん一樹の陰」
永代供養墓への納骨を行った。
いつも思うが、火葬だけの葬儀をされた方、家族葬の方と葬儀形式は
様々だけど、みんな同じように晴れやかな顔をしてくれる。
ひとつには納骨で葬儀に一区切りついた感覚と、心配していた焼骨の
納骨供養が出来てホッとしているのもあるようです。
本日の群馬県は外にいると暑いくらいの晴天、集まった27名の家族
達は黒の礼服を着た人もいれば、ジーパンの人もいたようです。
11時50分納骨読経の中全員が線香を供え終了すると、我々2人は
急いで前橋あんしん館に戻ります。
本日午前9時102才のお婆ちゃんが施設で亡くなった知らせがあり
午後1時過ぎのお迎えが入っていたからでした。
今から16時間前の15日午後8時に前橋ではありますが赤城山中腹
と思えるくらい山の途中にある施設から103才のお婆ちゃんを搬送
して、あんしん館にご安置してあるのです。
僕らは単純に100才以上生きて凄い、そこまで生きてくれたら家族
も納得だろうな・・・なんて思っていましたが、家族の反応は我々の
予測とは違うものでした。 良く考えれば分ることなのですが・・・
100才以上生きたお婆ちゃん達は、家族が面倒を看られず施設での
生活が長がったということでもあります。 施設に入所していれば、
当然毎月費用が掛かるわけで、家族はその支払いと、自分達の生活費
両方をずっと抱えてきたということなのです。
施設の費用は何だかんだと月に15万円ほど掛かる事が多いのですが、
その他に残る家族の生活と考えれば、単純に長生きで良いと言えない
現実があっても不思議ではありません。
16日夜7時30分を回った今、あんしん館にご安置されている方は
102才と103才のお婆ちゃんですが、どちらも納棺安置です。
明日17日は友引の為、火葬場は休みで火葬出来ず18日火葬です。
昨日搬送したお婆ちゃんは、3日間の安置で総額101.952円で、
本日搬送したお婆ちゃんは安置2日の96.768円の総支払額です。
ご安置と火葬だけの葬儀を選択された家族、これを見るだけで生活が
大変だったのは分ります。 不謹慎な言い方ですが、家族は安堵して
いてもおかしくありません。 前橋は国保から葬祭費の5万円が支給
されますので実質5万円ほどで済みます。
だけど家族にとっては辛く大変な長い年月だったかもしれません。
長生き・・・単純に喜べない現実がある事を改めて教えられました。
明日17日は老人施設を運営する県内でも大きなNPOからの要請で
講演勉強会を1時間30分の予定で行うのですが、出席者が自分達の
葬儀でなのか、入所、入院している家族の葬儀に対してなのかをみて
話す内容を少し変えようかと考えています。
生きる・・・のと、生かす・・・のは違う気がしてなりません。
100才でも110才でも自分の意思を伝えられ、話しができて動く
ことができるなら生きるに間違いありませんが、意思の疎通もできず
食べる事さえ出来ず胃瘻や、点滴のみで心臓動いている・・・これを
生きていると言うのだろうか!?・・・ 自力でなく、機械や薬液で
心臓を動かし続ける意味はあるのか!?・・・ この先、元気になる
可能性などないのに・・・残る家族の生活もままならないのに・・・
僕のレベルでは到底結論など出せませんが、ただ生かす事が正義とは
思えないのが本音です。 超高齢化社会、三人に一人が老人の時代を
迎えるのですから、本当に必要な事を考える時では!?と感じます。
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