昨日の友引夕方に葬儀、本日火葬は読み通り雨も降らず他県から来て
くれた親戚の方々も正午には前橋を出発されました。
くれた親戚の方々も正午には前橋を出発されました。
問題は14日午後からの湯かん納棺、午後3時に最終炉での葬儀です。
14日午前中で群馬を通過してくれる事を願うだけです。
ところで今月5件の葬儀を終えましたが、全て永代供養墓で保管付の
散骨依頼なのです・・・どうしたのでしょう!?
平成22年4月16日始めての散骨を思い出します。
この日は曇り空の寒い日で、散骨から前橋に戻った夕方から雪が降り
出しましたが、葬儀期間でもあり、葬家の前が坂道で運転に相当神経
を使ったのを覚えています。 この年の散骨はたった2件でした。
あれからわずか4年後の今、多い月は15件の散骨があったり、先月
の9月は8件の散骨、今月はすでに5件の散骨が確定しています。
うちの場合「散骨」+「一部焼骨は永代供養墓33年間迄保管」して
税込54.000円ですし、内10.000円は納骨時に住職の読経代
なので、散骨だけで食べていける数字ではありませんが、急激に増加
しているのは間違いありません。 散骨を依頼される代表的な方は、
■墓もなく、墓守もいない家庭(子供が娘で嫁に行っているなど)
■甥姪を筆頭に親戚が行う葬儀
■墓は不要と考える家族・・・以上3パターンが殆どです
散骨最大の課題である彼岸、命日、正月を始めとして、いつでも手を
合わせられる墓(永代供養墓・あんしん一樹の陰)を建てた事がより
一層の増加に繋がっているように思えます。
散骨・納骨・読経・33年保管の全てが5万円+税という超格安なの
も大きく影響しているのは間違いありませんが・・・
それにしても、墓離れというか、墓、遺骨供養の方法が多様化してる
のと、墓や遺骨に対する常識も変化しているのだろうと思います。
これは僕の個人的な感覚ですが、葬儀をされた家族と話していると、
墓には2つの意味があると思えるのです。
① 遺骨(焼骨)の保管と供養という感覚
② 残った家族が先祖を偲び、先祖と向かい合える場所的感覚
ようは、故人の・・・という部分と、残る家族が・・・という部分の
2つで1000人保管できる永代供養墓を建てた事で、双方の感覚が
可能になったんだと思います。 さらに超低料金もあるでしょう。
お金を掛けることが供養と考えた時代から、供養にお金は掛からない
しかし、心が無いと供養はできないと考える本来あるべき姿に入った
のかもしれません。 湯かん納棺で納棺師をする時、家族によっては
話すこともある「墓」の話しでは「何百万もする墓を建てて供養した
と言っている人が時々いますが、墓は建てる事が供養ではなく、墓は
行くことが供養です。 どんなに立派な墓を建てても、人が来ない墓
に意味がありますか? 墓は小さくて古くても、毎月墓参りに来る墓
のほうが供養していると思いませんか?」と言うと、家族親族の方は
大きく頷いて納得されます。
不景気が続き、先行きも不透明な世の中で、お金を掛けられる余裕も
無い今の時代になったからこそ、墓を始めとした供養に対する考え方
さえも、本来あるべき姿に近づいているのかもしれません。
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