9月1日、2年間一緒にいた息子が在席しない仕事生活が始まった。

始業の10時前から数件の電話が入り、午前11時には散骨依頼の方が

焼骨を持って来られ、2名が事前相談に来て入会をされたお昼になると

普段着の息子が粉骨処理に来てくれた。

一通りの作業が済むと息子の姉夫婦の引越しを手伝いう為、隣接市へと

向かったのだが、私服の彼を見て改めて居なくなったのを実感する。

霊柩車2台の3か月点検、塀の塗装、タイヤの履き替え、DIYなどに

これからも来てはくれるし、彼が困れば相談もされるだろうと思う。

何となく違和感に近いものを感じながらも、今までより笑顔で元気ハツ

ラツとした息子を見ると安堵感のほうが強く感じる・・・これが親なの

だろうと、いまさらながらに思えた。

本日届いた「年金生活老人専用パックパンフレット」を二つ折りにする

為、千明が階下に下りて作業をすると、一人残った事務所で暫し思いに

ふける自分がいた。

25年間美容の経営者として過ごし、7年前の9月に八王子裁判所から

突然届いた父親逝去の手紙、そこから始まった知ってるようで知らない

葬儀への関心、自身の経営していた美容室のお客様で葬儀社に勤めてた

千明との出会い、これ幸いと自分の中に生まれた葬儀の疑問をぶつけた

ことで、自分の仕事に疑問を持ち営業できなくなった千明は僕に葬儀社

設立を打診、全くその気の無い僕は逃げ口上として葬儀経験者、葬儀社

寺など100名以上に話を聞いた事が、僕の何かに火を付ける事になる。

人が生まれれば死ぬのは自然の摂理・・・なのに何故死後これほど高額

費用が掛かるのか? 疑問が生まれ、人が逝去すると国保から葬祭費が

5万円支給されると知り、その5万円で火葬できれば・・・との思いを

達成する事と、こんな事は本来行政がすべき事だろ!との思いもあって

NPOの申請待機してる6月突然葬儀の依頼が入るが、葬儀なんてのは

何処でも大差ないだろうと、何も考えず近くの葬儀社に依頼、数日間を

経験すると素人の僕でも納得できない葬儀となった事で、自分達で行う

葬儀を目指すことになる。 それから3年後、葬儀関連の知識も増えて

納棺師ができる頃に5万円火葬完成、経営していた美容室は長年勤務を

してくれた店長に全てをあげる事で、自分の心に悔いを残さない決断を

するが、この先食っていけるか?の不安を抱えながらも、流れでだった

からだろうか? たった21万円だけの出資で完成したのがあんしん館

であり、そこから一気に依頼数も増え、何とか食えそうだと思えた時に

NHKでの県内放送、全国放送と続いた事で安定してきた気がする。

あんしん館設立に合わせた仕事に携わってくれたのが息子でもあった。

それから一年後の今、息子は本来の自分の適職である美容師に戻ったり

我々も当初のような2人だけになった訳です。

昨日の群馬は一日雨でしたが、今日は晴れの予報の為、本日は預かって

いる3体散骨に向かう・・・葬儀が数件入って来る様相の電話が入って

いる為、行ける時に行っておく、これは依然の感覚に戻っている。

息子の一件から、改めて我が人生30年以上を振り返る事ができた訳で

全ては動いており、留まっているもの何一つ無く、永遠に続くものなど

無く変化し続けている・・・正に『諸行無常』なのだと実感する。

また人生とは進むばかりでなく、時に後退しながらも、また進んで行く

ものであり、あらゆる変化に適時順応する事が、無理なく我が夢や目的

達成への秘訣なのかもしれないと思えました。

変化は必ずしも良い状況とは限らないが、どんな形でも与えられた状況

から逃げることなく、前向きな思考と迅速な行動が好転する根源!?と

いうか、礎のように思わせてくれた息子の退社だったようです。

また僕自身の言葉ですが 『人は執着を捨てれば楽に生きられる』を実践

実感する時でもあり、ここ暫くは、あるだろうとも思えるのです。

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