知り合いが来て言う「ブログ読ませて貰ってます。美容室の事を書いて
いた頃からだと1000話以上書き続けるって凄いですね」
いた頃からだと1000話以上書き続けるって凄いですね」
客観的に見れば確かに凄い・・・と我ながら思う。
初めて書いたのは、美容室で発行していた新聞のネタが無くスペースが
空いてしまったのを埋める為でした。
美容室だからと『髪』の事・・・なんてつまらないと考えて、誰にでも
経験があって「そうそう」と賛同できる事柄でも書こうと、確か初めて
書いたのは『中学に入った時、3年生が凄く大人に見えたけど、自分が
3年になってみるとたいして大人で無かった』という内容だったかな。
月によって空いたスペースを埋める文章から始まり、それが何か月間か
続き、やっと空きスペースが出なくなる紙面に整えると、お客様方から
「我想う」を続けて欲しいと毎日言われるとスタッフに聞かされました。
あれから20年間近く書き続けていることになる。
当時は好き勝手な事を書き易くする為、読んだ人から反発されないよう
「我想う」と題したのですが、葬儀の仕事を初めてからは、意味合いが
全く違う「我想う」となっています。
簡単に言うと、その時々の心境を嘘なく、本音に近いものを、そのまま
書くので、あとから読めば当時考えていた事が分るのです。
本来なら日記に書き留め、人に見せる必要はないのですが、僕のように
根が軟弱な奴は、人に見せてなければ良いか・・・って変更をしたり、
最初からそう考えてましたよ・・・って嘘をついちゃうかもってね。
ただ勘違いして欲しくないのは、日本の中には『初志貫徹』等、言った
事は最後まで変更しないのが良しとする考え方もありますが、僕はそう
思っていません。 時に時代は急速に変化する訳で、その変化に合わせ
変更するのは道理だと思っています。 その意味では決して良い意味で
使われる事のない朝令暮改も充分あり得ると思っています。
極端な例ですが、戦争で突撃するとき「死ぬ覚悟で進め」と言ったから
とこれ以上進めば全滅だと分っていたら退却させ、戦隊を戦える状態に
整えてから再戦するのが本来の指揮官だと思いますが、死ぬ覚悟で突き
進めと言ったのだから突き進む・・・では全滅するだけです。
全員の命を預かる指揮官だからこそ機を見る目と、的確な判断と迅速な
指示が求められるはずです。 あとは何を優先するかですが、玉砕など
本来考えるべきでないというのが僕の自論です。 なぜなら、そこには
未来が存在しないからです。 恰好良く死ぬよりも、不恰好でも這いつ
くばってでも生きる事のほうが大事だと思っています。
事業も同じ、一発花火を上げて散るより、細々とでも続ける事が経営の
基本であり、働く人達を守る経営者としてとるべき道だと思っています。
だからと言って前言撤回、朝令暮改を推奨している訳ではありません。
また自分は初志、初心に沿って進んでいると思っても、周囲から違って
見えるのも良くあることです。 そこで文章にして残しておけば良くも
悪くも事実が残りますから、あとから読み直してみれば、当時の自分が
何を考え、どうするつもりであったのか、いつから変化してきたのか、
或いは基本は全く変わってないのかも客観視する事ができます。
自分は変ってないつもりが、読み返すと変化しているなら、それが自分
なのだと分るだろうし、基本は変ってなければ、それも自分だと分る。
何が良い悪いでなく、長い期間での自分という人間を知ることもできる。
指揮官として自分を知ることは、引き際を見定めるにも必要なこと。
僕に人を育てる能力などありませんが、せめて自分を客観視することで
自分の引き際を見誤ることのないようするのが精一杯です。
その後の、あんしんサポートが繁栄するか、衰退するかは時期指揮官の
力量次第でしょう。 衰退を望まず、繁栄を望む指揮官なら自分で指揮
官として必要な能力や知識は身に付けるはずでし、それが出来ないなら
指揮官として最低限の能力にも乏しいのですから衰退するだけです。
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、人は強制されて学べるもの
でないのは誰もが経験しており、自身が本気でその気にならないと学ぶ
など到底できないもの・・・全ては自分次第ということです。
そう考えると900話~のブログは僕の50代~の人生そのものであり
それはひとつひとつ刻んだ自叙伝と言えるのかもしれません。
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