以前経営してた美容室のお客様から電話があり、ご主人の従兄妹の子が

入院しており見舞いに行ったら、かなり黄疸が出ているので万が一の時

にはお願いできますか? という連絡が入った。

支援地域外へのお迎えですが、5親等の親族がいるので前橋で火葬可能

だから、早めに入会手続きだけしておいてくれと伝えておいた。

その2日後である9日早朝には逝去の一報が入り、病院お迎えに行く。

性別も年齢も分らなかったが、千明から渡されたメモの名前からすると

女性のようだ・・・病院に父親がいて故人と一緒にあんしん館に搬送。

27才、独身女性、胆のう癌で逝去・・・

細かい事は書きませんが、両親ともに親失格としか言いようがない。

途中、他人である僕が同じ年の父親を叱りつけたほどでした。

3才の時に両親が離婚してから母親は一度も会いに来てないという。

間違いなく親に恵まれなかった子だ・・・

長野県から群馬に来て友達は沢山いてくれたようですが、27才で逝去

親の愛情も乏しく、生活も楽でなく過ごし、まだ結婚もしてない27才

での癌逝去・・・どこからどう考えても平等ではない人生の終幕。

自分で自分の人生を作り上げ、我が城を築く時間すら与えられない。

そりゃ世界の観点からすれば、日本に生まれた時点で幸せという論理も

あるでしょうが、外国と比べて幸せうんぬんの問題でなく、日本という

国に生まれた人の中でも平等とはほど遠いものに思える。

でも、それが現実なのだから、、それをどうこう言うつもりはない。 

今回言いたいのは俗説として「人の人生は平等である」的な感覚を持つ

人達は割と多く、時々耳にするのが「石原裕次郎や美空ひばり」さん達

超有名人が華やかに生きて、50代で逝去された事を平等の例えにする

のですが、全ての人に当てはまる話ではない。

平等なのだから、いつか良い時が来るはず・・・この「たら」「れば」

的な根拠の無い淡い期待や現実逃避をして欲しくないと言いたい。

人生は平等で無いと悟り、中学卒業で社会にでる環境で育ったのなら、

16才から自分の人生作りを始めるべきだし、高校卒でも、専門学校卒

でも大学卒でも・・・もっと言うなら、自分の人生は自分でつくるもの

だと気付いた時から、社会人でも学生であっても突き進まない限りは、

自分の人生の幸せは訪れない・・・って事を学ぶべきに思えます。

これを読んで分かるように、人生は平等じゃないから諦めろって言って

いる訳でなく、年齢に関係なく自分で創れ、自分で掴めと言いたい。

がしかし同時にこれを書いてて思うのは、そんな教育は成されてないし

一把一絡げの教育だもん無理だよなぁ・・・ってのが本音だ。

なんだか難しい話になったけど、書いたついでだから書いておきたい。

人の才能ってほんとに色々なんだと思う。

小学校で9教科だったかな・・・数学が得意なのもいれば、音楽だけは

絶対音感持ってるとか、勉強全く駄目でも運動会の花形とか、マンガの

上手い奴もいれば、人を笑わすのが得意だったり、味覚だけ抜群なんて

子もいるわけで、社会で考えたらどの分野でも仕事になる・・・

だけど5教科が出来ないとダメ人間の烙印を押され、先生にも叱られる

のが今の教育、、それも常識になっているのが恐ろしい。

だけど石原裕次郎だって美空ひばりだって、芸能活動をしなければ絶対

有名にはならなかったし、普通の親なら「なに馬鹿な事いってんの」で

一蹴しちゃうんじゃないかな。 でも彼らは超一流の芸能人として世間

からも認めて貰えるだけの存在になった。

僕が教育論うんぬんを語っても何も変りはしませんが、みんなと同じが

良い的な教育感覚を、親だからこそ持つべきではない。 我が子の中に

眠る才能を見出し伸ばし、好きな事、得意な事で食えるならそれが良い。

という事と、人生平等じゃないから、自分の才能を伸ばせるって事。

平等じゃないって言うと、悪いほうに捉える人が多いけど、人より良く

なるのも平等じゃないって事だと知れば良い。

きっと意味わかんねぇ・・・っていう人もいるでしょうが・・・

例えば「人生山あれば谷あり」とか「止まない雨はない」って「人生は

みな平等」のような意味合いの言葉に対し、慰めの言葉として使わずに

向上心を持ったうえで使って欲しい、、特に若い世代は!って事です。

何もせず、いつか良い時が来ると思ってる人は良い時なんか来ません。

目標を持ち、好きな事を続け、いつかトンネルを抜ける時がくるまで、

どうすれば抜けられるのか、何をすれば成功に近づくのか精進を続ける

中で使って欲しい。 そして平等じゃないから今の自分が存在できたと

胸を張って言って欲しい。 

自分が持って生まれた良い環境があるなら利用し、無ければ自分で生み

だし創り出せば良い・・・その年齢は人により様々だと思える。

今回の話しは何の意味もなく、書いている訳ではありません。

僕自身、5才まで母親の存在を知らずに育ち、15才で家業が倒産して

一家離散、高校生の時はキャバレーでバイトをしながらの生活でした。

でもそれが大変だったという事でなく、その結果として今の自分がある

わけで、人からどう見えるか分りませんが、僕自身苦労した感覚はあり

ませんし、僕にとって必要悪だったという事です。

世の中には僕と似たような経験をした人はいくらでもいるはずです。

客観的に見れば、もっともっと大変な思いをした人はいくらでもいる。

だけど自分の本音がどう考えているか・・・が問題です。

恰好をつけて言っても本音が違ったら、ただの根暗人間です。

もし本音が僕と違うなら嘘でもいいから「その経験があったから現在の

自分がいるんだ。 だから自分にとって必要悪だったよ」と言い続けて

みてください。 気が付いた時は本音に変化しているはずです。

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