前回の「映画おくりびと」の場面を見て単純に感動した数日後・・・
NPO法人には理事という職責があって株式会社でいう取締役の事です。
NPO法人には理事という職責があって株式会社でいう取締役の事です。
その理事が任期満了となる6月20日を前に数日間に皆さんが来社された。
登記に必要な住民票を届けに来てくれたのですが、一人一人の方と暫し話を
すると人生の不思議、、摩訶不思議だと思わされる。
摩訶とは「大きい」とか「偉大」とか「非常に」という意味で今風「超」と
言えば分り易いだろうか「超不思議」ってことです。
任期満了理事9名、幹事1名のうち、僕と千明を除く8名は交代となります。
ぶっちゃけ始める時は何処でも同じで、名前だけ借りてるような理事さんで
したが、今回はあんしんサポートに全面協力をしてくれていた方々です。
あんしんサポートもそこそこ葬儀をするようになり、少しづつ名前も知って
貰えるようになってきたからこそ・・・の理事交代でもあります。
ど素人で始まった僕も6年間数百施行すれば、素人では無くなっていますが
同時に既成や固定概念も生じやすくなっているはずです。
その今だからこそ、素人さん達の意見に耳を貸す必要があるように思える。
幸い殆どの新理事さんは、我々を設立前か設立当初から知っている方ばかり
でもあるので、苦言も呈しやすいだろうと思います。
人は少し良い状態が続くと内心では慢心するもので、かくいう僕も多分そう
なのだろうと思っていますが、うちの2人が僕に苦言は難しいでしょう。
「家族目線」を貫いているのか!? 「自己満足」になっていないか!?
「先見5年」はしっかり見えているのか!? そして、今成すべきは!?
これら自分の中にあるものと、理事さん達との雑談から感じるものを重ね、
ひとつの判断基準としている自分がいるようです。
会議も良いのですが雑談のほうが、より本音が出易い傾向が強いと感じる。
なかには当初、僕が葬儀の仕事だけは嫌だと葬儀社紹介をするつもりだった
のも知っている方もいて「葬儀屋紹介するって言ってたのが、いつの間にか
葬儀をするようになって、今じゃその辺の葬儀屋さんよりずっと多い葬儀を
してるってのも、、なんか不思議だよねぇ」と言われた。
確かにその通りで、ネットで葬儀屋さんの話しを読んでいると経営者だけで
なく、勤めている人も使命感というか、奉仕の精神というか・・・
親の葬儀で最悪な経験をして一念発起のパターンか、葬儀社の担当者に感銘
して自分も飛び込んだとか、きっかけは両極端でも「よっしゃ!やるぞ」は
一緒の人達が多いようだが、僕の場合は明らかに違う。
周囲が認めるほど、あれだけ忌み嫌ってきた葬儀の仕事、当然自分でやる気
など全くなく、葬儀とは無縁の世界で50年以上生きてきた。
① 38年前、家業倒産で蒸発した父親逝去の知らせが八王子裁判所から届く
(突然の手紙、遺言書開封立ち会いか委任状を書けとの趣旨文)
② 父親の最後を看取ってくれた女性の満足感が不思議で葬儀を調べる
(70才過ぎのお婆さん一人残ったと思い転居先の神奈川まで会いにいく)
③ 葬儀は調べても全く分らず、棺はどこで、いくらなのかすら分らない
(葬儀業界は黒にも近いグレーだと感じる)
④ 僕の経営する美容室のお客様だった千明(ちぎら)を店長が連れてくる
(葬儀屋さんで仕事するお客様10数名の中のひとり)
⑤ 葬儀の疑問、質問を全て千明に何度もぶつけて話しをする
(ネットで調べ考え理解できない部分を全て一方的に話した感あり)
⑥ 僕の話しを何度か聞いた千明は、自分の仕事が出来なくなったという
(僕の話と仕事のギャップが大きく人を騙している感覚になったという)
⑦ 僕に葬儀社を始めませんか?と言うが僕にその気は全くなし
(僕のほうが慌て、余計なことを言ったと後悔するが時すでに遅し)
⑧ 責任を感じ葬儀経験者110名、葬儀屋、寺を周って話しを聞く
(葬儀社したくない一心、良い葬儀社を紹介する仕事を考える)
⑨ 話しに違和感を感じている時、突然葬儀依頼が入ってくる
(葬儀社、寺の言い分と利用者の意見全く合わず)
⑩ どこでも大差ないと近くの葬儀屋に依頼するが最悪の葬儀だと感じる
(ようは反面教師ってことです)
⑪ この時点で葬儀紹介は駄目だと分り自分達で葬儀することになる
(葬儀紹介の現実とネット掲載は違うはず、後でブログに書くつもり)
⑫ 人の死に金が掛るのが不思議と国保支給5万円火葬目指す
(この頃、もしかして天職!?と感じ始める)
⑬ 当時「安価な安置」「小式場」「散骨増える」「全国必要」できれば、
「NHKで放送してくれたら最高」などくちにするが5年で全て実現
(散骨場は無料入手、あんしん館設立21万のみ、NHKは来てくれた)
これらの殆どは僕の意思でなく、流れの中で進んできた事であり、葬儀屋を
自分がするなど、家族、友人知人だけでなく当の本人さえ考えもしなかった。
最後の散骨場は無料で入手、あんしん館の建設で自腹費用は21万円だけ、
こんなことって考えられますか? あり得ないでしょ? 自分の意思という
よりも、何か大きなちからというか、流されてきた感のほうが断然強い。
こうして書くと、僕が葬儀の世界に入る最大のきっかけを自分で再認識する
こともできました。 皆さんは気付いただろうか!?
千明との出会い? 最悪の葬儀社依頼? 初めての葬儀依頼? いえいえ、
父親の最後を看取ってくれた70才過ぎのお婆さん一人が残ったと思って、
会いに行った・・・が無ければ葬儀の世界とは無縁のままだったはずです。
38年間音信不通だった父親が逝去、最後を看取ってくれた女性がいたら、
皆さんも僕と同じように数百キロ先まで会いに行きますか!?
会いに行くという方は、僕と同じ道を歩むかもしれません。
行かないという方は、新たな人生は出現しないということでしょう。
逝去の一報から会いに行った一連の流れはホームページ 中段左にある
僕の顔写真上の『一銭も要らないお葬式』の中に詳しく書いてあります
逝去の一報から会いに行った一連の流れはホームページ 中段左にある
僕の顔写真上の『一銭も要らないお葬式』の中に詳しく書いてあります
良く人生の岐路・・・という言葉は聞きますが、そのまま通り過ぎても別に
どうってことのない事・・・気づかない事・・・僕の場合に限ってですが、
岐路とは大きな事でなく、考えたり迷ったりせず自分で判断したこと。
それが後々大きな人生の分岐点だったと分ったわけです。
これを偶然と呼ぶか、必然と呼ぶか、運命と呼ぶかは本人次第!?
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