今日の湯かんで15名の親族に対し最初に伝えたのは、死化粧のこと

正確には死化粧より、開いた目を閉じるのと、開いたくち閉じです。

丸6年にして初めての経験、パッチリ開いた目のまぶたに閉じられる

だけのゆとりがありません。 病院からあんしん館に搬送し顔当布を

外すと両目を大きく開いていましたが、何となくいつもと違う様子に

「もしかして、かなり長時間目を開けたままでしたか?」すると息子

さんが「はぃ、2日くらいは開きっぱなしでした」との答え、やっぱ

そうだったか、、と思ったが葬儀内容が決まってないので、その時点

ではそのままにして、末期の水をとり、線香を供えて、打ち合わせ。

火葬式で家族だけなら、目が開いてても良いと思ったのです。

家族葬儀に決まった頃は、僕も目のことは忘れており、遺影の作成や

各種門標類の作成、各依頼など済ませて安置室に行くと、目を開けた

故人の顔を見て言います。 「目が思い切り開いてるけど、」すると

「最後はずっと開いてたから、このほうがお父さんらしから良いかっ

て弟と話してたんですよ」との言葉を聞き、少し迷ったが伝えます。

「うん気持ちは分かるけど、家族はそれで良くても親戚の人にとって

目をパッチリ開けた遺体は普通に見られるものではないよ。 それに

湯かん納棺の時までには、もっと白濁するから怖いって思うのが普通

だからね。 親族に顔を見せないなら良いけど、見せるなら口が開い

てるのも含めて、今のままでは相当問題だよ。 ただ瞼に全く余裕が

ない状態なだけに、我々でも何処まで閉じてあげられるか、正直分ら

ないのが本音なんだけど、、、口は閉じてくれるけど」と答えます。

結局、閉じる事になりましたが大変でした。

眼球を傷つけず、余裕の無い瞼を閉じるのはいつもの数倍神経を使い

時間も倍以上掛かってやっとの思いで閉じました。 くちは真綿での

処置なのでそう難しくはありません。 

死化粧を施した理由を、親戚に伝えておくことで、多少の違和感等が

あったり、少し顔の雰囲気が変っていても理解して貰えます。

また前日の火葬では、母一人、娘一人の年金生活だと聞かされたので

初めから火葬式を勧めたと昨日のブログに書きましたが、火葬が済み

拾骨後、斎場の外で集まってくれた親族にご挨拶をして貰い、初めに

僕が口を開きました。

「本日の火葬式は、皆さんご存知のように母一人、娘一人の年金生活

と聞き、故人である母親は葬儀より、残る娘の生活を心配していると

思い、我々が勧めた葬儀である事をご理解頂きたいと思います」

この言葉、他人である僕だから躊躇なく言えますが、娘の立場からは

とても言える言葉ではありません。 

また上記は初めての経験でしたが、良くあるケースとして肝臓病など

強い黄疸が出ると、ドラゴンボールのピッコロのような緑色の顔にも

なる事があり、その場合も死化粧は欠かせません。

下の緑が出てこないよう、コンシーラでしっかり抑え込む化粧なので

どうしても厚化粧となります。 そんな時も初めに一言伝えれば親族

の人達は納得してくれるものです。

親戚、会葬者などが不審に思える事や、疑問に思う部分は隠すばかり

でなく、正直に伝えたほうが良い場合もあるし、時には隠す事もあり

時には嘘をいう事だってあります。 

家族、親族、会葬者の誰もが傷つかない方法があるなら、それを選択

するのが、例え嘘だとしても仏教用語にも『嘘も方便』ってあるじゃ

ないですか、釈迦はレベルの低い弟子達に対し、身近で達成でき得る

程度の事を言い、弟子のレベルが上がったところで、今までのことは

嘘で、これから伝えるのが本当の事だと言う。 本来これを嘘も方便と

言うのですが、人が傷つかず穏便に済む為の嘘も方便だと思います。

① 本当の事を言い、悪者が必要なら我々がなれば良いが一位

② 隠したほうが無難であれば、時に隠すことも必要と考えるが二位

③ 本当の事も言えず、隠せない事なら嘘も必要が三位

依頼された家族に後悔をさせない、温かみのある家族目線の葬儀には

『代役』『隠ぺい』『嘘』も必要なことがあり、それも我々葬儀社の

役割だと考えています。 だから、我々の事前相談は最初から本音の

腹を割った相談が必要だと書いてあるのです。

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