前橋は強風の彼岸の中日となりましたが、みなさんはお墓参りに行き

ましたか? 今建墓中の永代供養墓『あんしん一樹の陰』を建てると

考えた要因のひとつに、彼岸や命日、場所によっては元旦などに行う

墓参りの習慣を残したい気持ちもありました。

焼骨が保管してある墓に手を合わせるうんぬんの問題でなく、自分が

この世に生まれてくるには、父母がいて、祖父母がいて、曽祖父母が

いて・・・・と気の遠くなるような、極論まで言えば人類が誕生した

ところまでさかのぼってしまいますが、少なくても自分が知っている

或いは聞いた事のある人、くらいまでの先祖がいたから自分が存在を

しているのだと、、、多少でも感謝の念を持って欲しいと思う。

中には自分なんて生まれて来なきゃ良かった・・・とか、親が勝手に

産んだだけで、自分が頼んだ訳じゃない・・・などどう考えても屈折

した感覚を持つ人もいるでしょうが、自分がこの世に生を受けた事を

感謝できるような人生を自分自身で歩んで欲しいものです。

先祖が居たから、、お爺ちゃんお婆ちゃんが居たからと思えるような

大人になるには、小さな頃から親や祖父母に連れられて墓参りをする

のが一番の早道だと思っています。

子供の頃から親に連れられて墓参りをしてきた人は、大人になっても

墓参りの習慣は自然と身についていますが、子供の頃に墓参りをして

無かった人は、配偶者に墓参りの習慣がないと墓と疎遠になる傾向が

強いように思えます。 先祖や可愛がってくれた祖父母への感謝の念

自分を産み、育ててくれた両親への感謝の念を、日本人の心から無く

さないよう、失わないようにとの思いもあって建てたのです。

しかし超少子化で無縁化する墓も多く、墓参りに行っても寺から墓の

親族を探す立て看板が目に付く時代となり、荒れた墓も多くみられる

時代にもなり、子供達に見せたい景観ではありません。

その結果として散骨が増えているのは確かですが、散骨の難点として

後々手を合わせ、花を供え、線香を供える場所がないのです。

また超高齢化社会の副産物として、足腰が弱り墓参りにも行いく事の

できない老人も増えています。 

代行で墓参り・・・を商売とする人や僧侶もいるようですが何となく

納得できません。 墓参りに必要なのは墓をお参りすることでなく、

先祖に手を合わせようと思う『心・気持ち』のはずです。

極論なら墓に行かなくても自宅の部屋で手を合わせれば良いのです。

だから自宅に持ち帰れる程度の、少量の焼骨を永代供養墓で保管する

形式にしたし、自宅での手元供養なら改葬には当たらないので行政の

許可も必要ありませんから、簡単に自宅の仏壇等で手元供養できます。

ついでに書くと、墓から出した焼骨の散骨も改葬にはなりません。

僕のブログを読み続けている方の中には、僕は無宗教論者だと思う人

もおられるでしょうが宗教を否定していません。

人が生きていく中で、曲がったり、裏道に入ったり、崖に落ちたりと

色々な事が起こるでしょうが、時間は掛かっても本来の正道へ戻って

歩み続ける為に宗教観があるのは良い事だと思っています。

人を許し、自分を許し、人としての器を少しづつ大きくしながら日々

人生を楽しんで生きる事への教えのひとつに、宗教観があるなら宗教

とは素晴らしい事であると思います。

問題なのは霊感商法が如く、宗教を私利私欲に繋げ、寄生虫のように

人が汗水垂らして稼いだ貴重なお金を、湧き出る湧水のように考える

人達の存在に対してだけです。 

僕のような凡人でも、仕事を通して人の役に立ちたいと赤字覚悟での

5万円火葬を続けてきました。 4月から8万円+消費税に引き上げ

ますが、条件付きで5万円火葬支援パックは残します。

そこには商売の概念もなければ、損得の概念もありません。 

あるのは、それを心底必要とする人達がいて、その人達が生きる中で

最後の心配をせずに済めば、今より少しは人生を楽しんで貰えるかも

しれないと思う心があるだけです。

生きたくても生きられない人達を沢山見てきました。 だからこそ、

生きられる人達は、人生に苦慮するのでなく、楽しむべきだと思う。

↓↓↓↓
  
にほんブログ村


ひとつひとつの葬儀を確認・反省・向上する為に書く実践日誌でもあり、

これから葬儀を
経験される方々が後悔しない為に役に立てたらとの


思いを込めて書いています。 宜しければクリックをお願いします