明日31日の火葬は控えていますが、今は静かな年末を過ごしてます。
2013年あんしんサポートにとっては、やっと第一関門を突破する
ことの出来た年となりました。
第一関門とは、ようやく食えるようになった年であり、6年前に明言
してきた料金体系で年間どれだけ施行すれば食えるのか? その現実
が分かった年でもあります。 設立から2年間は年間で10施行にも
満たない葬儀数でしたが、殆どが一般葬だったのです。
でも我々の料金設定では、葬儀の原価を支払い、電話、車両燃料等の
諸経費を支払うだけで精一杯、、それでも少ない利益の中から、一つ
一つ、葬儀道具を揃えてきたので、とても生活できる収入は得られる
状況ではありませんでした。 当時のブログを読んで貰えばその辺の
事情が納得できる文面があるはずです。
葬儀が終わると、自分達へのご褒美に幸楽苑でラーメンを食べた事が
書いてあるのです。 たった298円のラーメンがご褒美、これだけ
を読んでも、感性の鋭い人なら分かったはずです。
その後、倍、倍と依頼は増えてきましたが、先日のブログにも書いた
ように火葬式と家族葬で93%、一般葬はわずか7%にまで減少をし
ているのです。 この点は設立当初には予測出来なかった事です。
火葬と家族葬が主体となれば、施行単価は極端に下がります。
しかし我々が目指してきた弱者支援では当然の結果でもありました。
設立当初は月間6施行もすれば充分食っていけるはず・・・でしたが
予想外に施行単価が下がり、昨年夏頃にはかなり不安になりました。
しかし手前味噌ではありますが、葬儀をされた家族からは抜群の評判
を頂き、それは入会者が増え続ける事でも実感していました。
『我々を必要とする人達が予想以上に多いのだから、赤字の火葬支援
パックを続けても、いつか必ず食える時が来るはず・・・』これだけ
の思いで続けてきた結果、今年1月10数件の葬儀依頼以降、本当に
食べられるようになったのです。
まだ社会保険を始めとする福利厚生に手は届きませんが、僕が生まれ
育った魚屋さんを始めたと思えば、商売の基本は食えることからです。
個人商店の人達は今でも福利厚生うんぬんなど、あっちのほうの話だ
と考えておられる方が殆どでしょう。 僕も同じ感覚でした。
来年還暦を迎える訳で体力的な不安もあるし、僕にもしもの事が起き
れば、その結果あんしんサポートの存続が難しくなれば、6年前一緒
に立ち上げた千明の生活にも支障がでるので心配はしていましたが、
昨年夏から息子が加わったことで、もしもの事があっても2人いれば
存続できる安心感は格段に増しました。
6年前立ち上がった時、地域の弱者と呼ばれる人達の役に立ちながら
自分達が食っていければ良い・・・人生の終盤を迎えた今、こんな俺
でも人の役に立つ事ができて、生活ができて、生き甲斐、遣り甲斐を
持ち続けられたら、人として幸せな人生だよな、、そこまで頑張って
みたいと美容業の社長時代には無かった感覚を持てたのです。
正直なところ、自分達は県内平野部を支援地域として活動することで
生活可能な依頼数の確保ができるだろうと考えたわけです。
我々の活動が上手くいけば、全国どこにでもいるであろう我々と同じ
ような感覚を持つ人達が立ち上がるきっかけや、事業を行ううえでの
マニュアルも提供できるようになり、あんしんサポートのような葬儀
支援を行う事業体が、全国に設立される日が来るかもしれない。
それにはNHKで放送してくれたら最高だね。
こんな会話を6年前にしていたのを千明や、応援してくれた人達でも
僕から聞いた覚えのある人もいらっしゃるでしょう。
■人の役に立ちながら、食っていける人生があっても良いと考えた
■国保からの5万円だけで可能な火葬式の実現だけを目指した
■3年後、利益もなく、人件費も出ないが5万円火葬は実現した
■自分達で可能な範囲の支援しか考えてこなかった
■予想以上に支援を望む人達は多かった
■食えるようになるまで5年掛かり、今年初めて食えるようになった
これが、あんしんサポートを起業した人間の本音であり実態です。
僕は人の役には立ちたいと思っていますが、人の為にやっているとは
思っていません。 自分が喜びを感じ、生き甲斐や遣り甲斐を感じる
から行っている事業だと、何度も書いてきました。
僕は家業の倒産でお金はいつでもあるものではない事、事業とは真面
目に頑張れば成功するものではない事、お金が無い時、人は心細くて
自信が持てなくて、どこか後ろめたい気持ちになる事を知りましたし
人生とは生まれた瞬間から平等でない部分を背負って生まれることや
過去の栄光からは何も生まれない事、今がどんな状況でも前を向いて
自分を信じて、明確な目標を持って進み、僕のような坊ちゃん育ちの
根が軟弱な人間は、目標に向かったら引き返す船は燃やして、勝つか
全滅するか、背水の陣で臨むのが最善策であるという事を学べました。
結婚するまでは家族で過ごしたのは10年間だけで、倒産してからは
どんなに困っても頼れる人はいませんでした。 でもそのお蔭で芯が
強くなれたように思えます。 そしてひとつの人生哲学に辿り着いた
のが『人は元気で働ける身体と心があれば、何をしても生きていける
ものだ。 傍から見た仕事の優劣はあるだろうが、当の本人はどんな
仕事の中にも喜びもあれば、悲しみもあるし、遣り甲斐だってある。
自分の性格を知り、自分に適した仕事を全力で挑み続けられたなら、
人生の仕事に関しては最高であったと言えるだろう』と思うのです。
今の我々3人と、お手伝いをしてくれる人達で可能な範囲で可能な
依頼だけを受けて、限界を超えればお断りする。
葬儀をされた家族から感謝をされ、クチ込みで毎月20数名の入会が
続き「もう限界だ」と事業をする者にとっては、嬉しい悲鳴をあげな
がら、あんしんサポート事業を続けていくのが、楽なのは確かですし
当初目指していた事業でもあり、その意味では成功したと言えます。
我々3名にとっては家族目線で葬儀を行うのは、無理の無いというか
一番楽な方法でもあります。 って誰でもそうだと思うけど・・・
例えて言うなら、美容師だとしてお客様に自分の好みの髪形や髪色を
押し付ける、、、んと、長いサラサラヘアーが好きな人に、ショート
ヘアーのパーマが良いと説得するより、相手の好みを聞いて、それを
基本とした上で、より似合うアドバイスをしたほうが簡単でしょ?
我々が行う『家族目線の葬儀』と全く一緒です。 当たり前の事だと
思いまいすが、それが絶賛されるのですから、葬儀業界全体が明らか
なる間違いをしているか、相手が素人だからと傲慢なだけです。
僕らは今でも当たり前の事を当たり前にしているとしか思ってないの
ですが、人は普通じゃないというし、そんな人そうは居ないと言う。
自分が葬儀をする家族になれば、安くて良い葬儀がしたいと思うのに
葬儀屋さんになると、できるだけ楽で、儲けたいと思うらしい。
どう考えても、僕には理解も納得もできませんが、俺らは家族目線で
後に残る家族の生活を第一に考えながら、葬儀で家族に寂しい思いを
させない葬儀を、自分達の手の届く範囲で、自分達の体力に見合った
依頼を受ければ、これからも胸を張って食っていけるだろうと思う。
しかし我々のような葬儀支援を行う事業が生まれることを待ち望んで
おられる方々が全国におられ、その人達からの手紙やメール、時には
電話などで直接声を聞き、話しを聞くと自分達の楽な道を進んで良い
のかと自問自答する時間が増えてきました。
その最初のきっかけは、内閣府雇用促進事業で出会った人達の反応と
その後の動きが、全国への思いを湧き上がらせたのです。
次回は『楽な道の選択と、新たな挑戦への二者択一に悩む』です
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