89.900円火葬パックの掲示から、依頼が入るまでは長い時間を必要としません
でした。 それでも、机上での計算と仕入れ交渉は完了しており、赤字は避けられるは
ずなのです。 結果は病院から自宅までの搬送と、自宅から火葬場までの搬送に防水シ
ートまで入れると搬送費だけで45.000円が業者さんへの支払いとなったにもかか
わらず、利益は出ませんでしたが、赤字には成らなかったのです。 ということは89.
900円 ― 45.000 = 44.900円なのですから、病院~自宅・自宅~火葬
場この2回の搬送が5.100円以内で行なえれば、利益はないとしても、5万円火葬
の実現は充分可能だと分ったのです。 但し、2回で5.100円以内なんて、自社所
有の霊柩車以外は無理だし、距離によって料金が加算される体系では5万円火葬とは謳
えません。 いずれにしても、自社で霊柩車を所有しない限り絶対に実現不可能であり、
自社所有の霊柩車があれば充分可能なのだと分っただけでも大きな収穫であり、希望の
持てる第一歩だったのです。
次に経験したのは、自宅での家族葬儀189.000円です。 この金額もちゃんと
設定されておらず見切り発車でしたが、何の前触れもなく、突然知り合いの業者さんを
仲介して入ってきた葬儀だったので、何事も経験と思って依頼を受けた葬儀でした。
今まで火葬の手続きなどした事の無い我々の甘い判断で、一歩間違えば大変な事にな
ったであろう葬儀でもあり、色々な経験を一度にした思い出深い葬儀は7月始め、夏と
いうより、まだ梅雨の晴れ間のことでした。
知り合いの業者さんを仲介して入って来たのは、事務所のある前橋市から西へ隣接し
た高崎市の女性だという事だけ聞かされ、詳しいことは、ある喫茶店のマスターに聞い
てくださいという少しややこしい話しでした。 とりあえず、そのマスターに電話をし
て、お迎えの病院を確認し、搬送専門業者さんに搬送依頼をして指定病院で落ち合う約
束をすると、ドライアイスを取って、喫茶店のマスターに詳細確認をする為に向かいま
す。 マスターの話しでは、高崎のビルに住んで、管理人をしているが夫婦ではなく2
人とも都内の人間だから、自分が火葬の申請者になると言うのです。 ただ、すぐには
行けないから印鑑を渡すので死亡届出書は、同居の男性と相談して記入してくれとの事
でした。 当社本拠地の前橋は、故人から見て三親等以内の親族が申請者なら、市民同
様無料で火葬できるのですが、初めての経験なるがゆえの甘さが、一歩間違えば大変な
事態となる事など、この時点では全く考えもせず、認印をお借りして、高崎市内の総合
病院へと向かったのです。 病院に到着すると、搬送業者さんの寝台車も来ており、我
々待ちのようで、軽く挨拶をすると、我々より病院事情に詳しい搬送業者さんの案内で、
霊安室に向かいます。 「多分ここですよ」言われた扉を開けると布団の掛ったご遺体
はあるのですが、ご家族の姿が見えません。 霊安室に来た看護士さんに聞くと、突然
亡くなったので警察の検死が入り、同居の男性は事情聴取を受けているので もう少し
時間が掛りそうだとの事でした。
一時間ほど待った頃、疲れ果てたような顔をしてキャップを被った初老の男性が現れ
たのです。 昨日まで何でも無かった人が心筋梗塞で突然倒れて亡くなったのですから、
同居人の男性は半分取調べのような感覚になる時間だったに違いありません。 突然の
病気での逝去だった為、やっと開放された同居の男性も寝台車に乗り、街の真中だとい
う自宅に向かいます。 到着したのは8階立てのビルで、その七階に住んでいるという
のですが、エレベーターは狭くとてもストレッチャーは入りません。 そこで、搬送シ
ートの左右8ヶ所に付いている取手を持ち、椅子に座ったような形でご遺体をエレベー
ターに乗せて七階の部屋まで運び入れました。 奥の部屋に敷いてあった大きな布団に
寝かせて、ドライアイス処置を行うと打ち合わせです。 葬儀は最高でも10人ほどな
ので、自宅で出来るならそうして欲しいと、自宅葬を希望されましたが、エレベーター
に棺は乗らない旨を伝えると、その点なら広い階段があるので問題はなく、人手も用意
すると言うので安心です。 喫茶店のマスターに言われたように死亡診断書を記入して
前橋市斎場の火葬予約を確認すると翌日の午後3時の火葬予約が取れました。 死亡は
本日の午前であり、翌日午後3時なら24時間以上経過なので全く問題はないのです。
続いてお寺の予約ですが、当方紹介の寺が対応できる事になり、初めての自宅葬儀は、
比較的忙しない時間の中で進められることになったのです。
死亡届出書が出来上がったのは午後5時近く、すぐに火葬を行なう前橋市の市役所に
電話をしたのですが、火葬場の予約は取れているので、明日の朝一番に来所してくれれ
ば良いとの事。一旦前橋市の事務所に戻り、自宅葬儀道具一式を積み込んで、高崎市の
街中にあるビルの自宅に戻った頃は、外が暗くなり始めていました。
狭いエレベーターに葬具を目一杯積み込んで、7階で下ろすと部屋に運び込みます。
真新しい白幕を部屋四方の壁に張るのも初めてです。新品の四枚屏風を一対、横に広げ
て立て、その前の中央部に三段の祭壇を置き、両サイドに生花のかご盛一対と、レンタ
ルのキラキラ回転灯一対と、回転灯篭一対など全ての飾り付けを終える頃には、いつの
間にか故人の兄弟姉妹や子供達など数人が集まっており我々の仕事を見ていたのです。
次は死化粧をしようと顔の当て布を外すと倒れた時に打ったのでしょう。 顔にアザ
ができていたので千明にコンシーラを買ってくるように指示をして、ご遺体の顔を綺麗
に拭きます。 初老ですが小奇麗にしている女性で、手足にマニキュア・ペディキュア
をされ、おしゃれな方のようです。 ご遺体の顔に乗せるファンデーションや口紅の色
を作っていると、千明がコンシーラを買って戻ってきました。 コンシーラを塗りなが
ら、ご遺体に話し掛けます「突然倒れて、まだ自分が亡くなった事さえ分らないかもし
れないけど、知り合いの方々が来てくれたようですから、綺麗になってみんなと会おう
ね。 僕も頑張るからね」コンシーラでアザを抑えて、化粧をし終えると結構美人さん
です。 髪をムースで整え化粧、整髪が済むと、もう一度ドライアイスを主要箇所へし
っかり当て、布団を掛けると、待っていた故人のご家族を呼び、お顔を見て頂き、末期
の水を取り、線香をあげて貰います。 全ての人が線香を上げ終えると、自己紹介をし
て、明日の葬儀説明や、スケジュールの説明を行います。「故人の住所が東京であると
聞きました。住んでいるのは高崎市ですが、市民ではないので、高崎市斎場での火葬に
は32.500円掛りますが、故人の親戚の方が前橋市民だという事なので、前橋市は
三親等以内の身内市民が申請すれば前橋市民同様に無料で火葬できるのです。 そこで、
自宅で葬儀をした後、少し遠くて大変ですが、前橋市斎場に移動して火葬となります。
午後3時の火葬なので90分後の午後4時30分頃に拾骨をして、高崎市の自宅に戻り
焼骨を祭壇に安置すると葬儀の全てが終了となります。 さらに葬儀の翌日は、当方所
有の県内北部にある散骨場に向かい散骨となります。 当日は午前11時から湯かん納
棺の儀、昼食を挟んで午後1時から葬儀、午後2時に出棺し前橋市斎場で午後3時の火
葬、約90分後の午後4時30分頃拾骨となりますので、高崎市の自宅に戻れるのは午
後6時近くですね」初めて尽くしでグッタリ疲れはしましたが、順調に事が進んでいる
事に安堵して事務所に戻り、明日の予定を再度千明と確認をして家路に着いたのです。
葬儀当日の朝九時、前橋市役所の窓口に死亡届を提出すると、中々手続きが進まず「
どんなに調べても申請者と故人が繋がらないのですが・・・」と言われたので「えっ?
申請者は親戚の方ですよね?」と聞き返す。 担当者は「私もそう思って戸籍をたどっ
たのですが、全く繋がりません。この方のままだと申請者に成れないので、火葬許可証
が出せないのですが・・・」と言われた瞬間(心臓はドッキーン・どうすりゃ良い?
昨日印鑑を借りた方は、てっきり親戚だと思い込んだまま、ちゃんと確認をせずにいた
からなぁ、どうしよう・・・こうなったら仕方ない同居人の男性に申請者になって貰い、
市民外火葬費用6万円は、うちで払うしかないだろうな」そう思って窓口から、死亡届
出書類を返して貰おうとした時、窓口の担当者が言いました。「でもこの人、都内の人
ではなくて高崎市民ですよ」「え? 本当ですか?」「はい 間違いはありません」こ
れを聞いた僕は、すぐに高崎斎場に電話をして、本日の火葬予約は可能かどうか確認を
するよう指示します。 幸いにも午後3時の火葬予約が取れたと聞き、すぐに高崎市役
所に移動です。 移動中、葬家に電話をして火葬場が前橋市から高崎市に変更となった
事、高崎市役所で手続きをしてから、葬家に向かうので少し遅れる旨を連絡し、高崎市
役所にて死亡届の提出と火葬の予約が午後3時である事を確認すると葬家に向かったの
です。 到着すると、当然のように時間は押していますので、湯かん、納棺をして葬儀
を行った後で、初めての法衣姿綿衣裳を作成するという変則での流れとなりましたが、
火葬が当初予定の前橋より、かなり近くなった事も幸いし、出棺時間までには時間調整
が出来ていました。 7階から一階までの棺搬送は、葬家で依頼した男性8名で階段を下
りて、霊柩車に乗せると、自宅から10分ほどの距離にある火葬場へと搬送、何事も無
かったかのように火葬、拾骨と続き自宅に戻って祭壇に焼骨を安置することが出来たの
です。 それにしても当日に火葬場を変更できたのはラッキーとしか言いようがありま
せん。 結局、我々2人だけがあせをかき通しの一日でしたが、家族、親族は違和感さ
え感じて無かったようでしたので、それだけでもホッと胸を撫でおろせたのです。
神経と身体はグッタリ疲れていましたが、焼骨を安置して皆さんが線香をあげ終えると、
部屋の片付けを始めます。 全ての片付けを終え、明日の散骨予定をもう一度確認しよ
うと、同居の男性の居る部屋まで行こうとした時、それまで何も言わず遠巻きにして我
々の仕事を眺めていた故人の親戚達が、我々を囲むように近づいて来て言うのです。
「昨日からずっと見させて頂きましたが、どんな時でも心のこもった対応で、お金では
買えないような、温かみのあるお葬式をしてくださって本当に、ありがとうございまし
た。 私達は神奈川に住んでいますが、あんしんサポートの支店は無いのですか?
あるなら、我が家の時も是非お願いしたいと思って・・・」と言われたのです。
あまりに突然の、予想外の褒め言葉に僕も千明も泣きそうでした。 帰りの車中、今ま
でに味わった事の無い満足感と充実感、そして疲労感の中、昨日からの流れと、急遽火
葬場の変更というハプニングもギリギリの所でクリア出来たのはラッキーでもあるけど、
我々のしている仕事は、多くの弱者が待ち望んでいる事だから、目に見えないチカラが
助けてくれたんだと、分ったような、分らないような話をしながら、初めての自宅葬儀
という長い一日が幕を閉じたのです。
最後には、我々のほうが親族の人達に感動させて貰った葬儀から、一夜が明けた朝の9
時過ぎ事務所のある県都前橋から30分ほど西に位置する高崎市の葬家に到着すると、
故人と同居をしていた男性と、故人の娘と息子の三人が待っていてくれました。その3
人を乗せ、5人で向かうのは群馬県北部にある、あんしんサポートの専用散骨場です。
葬儀に供えた生花類は全て持ち、焼骨は昨日預かって粉骨にしてあり、午前9時20分
に出発してから1時間40分後散骨場に到着するとご家族に伝えます。
「4百坪の何処に撒いても良いのですが、一番前から見える赤い屋根は保育園なので、
子供達の声やマイクを通した先生の声、音楽がいつも聞えていますよ」「ならそこが良
いよ」故人の娘さんが即答して決定です。 散骨し生花を供え線香をあげると3人は手
を合わせて暫くは祈っていました。 祈りを終えた娘さんが言います。「ここ良い場所
ですね。 季節ごとに変るだろう景色が目に浮かびますし、お母さんは子供達の声を聞
けますね。 暗く湿ったお墓の中より、季節の風を感じて過ごせるのが良いですね」
女性のほうが感性は豊かなようで、初めて見る場所なのに中々良い感覚をしていると思
います。 彼女の言う通り、我々のように湿気のある暗い、墓の中を何十回も見ている
人間には自然の風、自然の音、野鳥の声が聞こえるこの場所は中々良い感じなのです。
また、散骨場は少し高い場所にあるので、生活圏からは見えず、散骨場からは生活圏が
見えるという好立地なのです。この散骨場は、あんしんサポートで父親の葬儀をされた
方が、遺産の中から無償で提供してくれている四百坪の山林です。専用散骨場が生まれ
るまでの流れは、こんな感じでした。 つづく
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