『5万円火葬支援パック完成』
国保に入っていれば一銭も掛らない火葬葬儀
平成23年3月1日、3年前に第一の目標として掲げた国保加入
者が死亡時に「葬祭費」名目で支給される「5万円」だけで可能
な火葬支援パックが、ついに実現するに至りました。
実質ゼロ円で可能な火葬葬儀一銭も要らない火葬葬儀である、
あんしんサポート5万円火葬支援パックの内容は次の通りです。
・支援地域内の病院に、専用車両で、指定時間に、ご遺体のお迎え
に行きます
・搬送用防水シートを使用し、ご自宅(安置所)に搬送
・自宅(安置所)の布団にご安置しドライアイスで腐敗遅延処置を
行ないます
・末期の水をとり、線香具一式を揃え線香をあげます
・死亡診断書を記入し居住地又は火葬する施設のある役所に死亡
届出代行(火葬予約)
・死亡診断書コピー五枚
・打合せ終了後、棺の準備が整った時点で布棺に納棺します
・火葬予約当日、霊柩車にて火葬場に搬送します
・火葬後、七寸骨壷に拾骨し銀張箱に入れて火葬葬儀は終了です
この火葬支援パックは、家族の思いや予算により、旅支度、生花、
祭壇等、十数項目の追加が可能になっている点がポイントで、最も
神経を使った部分です。
残った家族は5万円の他に多少費用が掛ったとしても、せめて旅支度
だけは整えてあげたいとか、お花くらいは供えてあげたい。
など家族の財布事情により様々な思いがあって当然です。
追加をしなくても火葬可能な必要最低限のパックを設定し、家族毎の
思いで追加できれば、現状多く見られるパック外項目で必要な物を
追加しなければ実際には火葬も葬儀もできないなどの不合理も避け
られると考えたからです。
国保は現役を離れ、社会保険から変更されているからで、5万円
火葬支援パックの登場で、極端な言い方をすれば、所持金がゼロでも
火葬はできる訳ですから お年寄りのくちから出る「死ぬ前にいくら残し
ておけば・・・」といった悩みは無くなるのです。
金は生きている時に使うものであり、死ぬ為に貯めるものではない。
少額年金で暮らすお年寄りには、声を大にして言いたいし、もう安心
だと伝えたい。
でも現状の高額葬儀を否定している訳ではない。
お金のある人や豪華な葬儀をしたい人は遠慮せずにして欲しい。
ただ世の中にはしたくても出来ない人達がいくらでも居る事、葬儀自体に
費用を掛けたくないと考える人達も沢山いる訳で、特に前者の財布
事情が許さない人達を始めとした弱者のちからになれたらという思いが
もっとも大きな、そして大切なことでありあんしんサポートを設立した
最大の目的でもあるのです。
目標設定から3年後に実現した火葬支援パックですが、当時は誰もが
無理だと判断をした事であり、僕自身でさえも実現するかどうかさえ
分らない現実だったのに、当の本人はできる事しか考えないから出来た
とも言えましょう。
なぜ、できる事だけを考えたか、、それは話を聞いた百人が百人、誰もが
賛同する内容だった事、そして、百人が百人、でも無理でしょ? できる
はずが無いと考えるほど凄い事だったからです。
お迎えに行く病院と安置する自宅等が、県内の支援地域内なら何処でも
一律、税込5万円だけで出来る火葬パックの実現は、大変かもしれ
ないが、完成したら助かる人、喜んでくれる人、そんな支援が生まれる
のを待っている人達が、いくらでも居るのは明らかであり、これからの
時代背景を考慮すると、県内だけでなく、国内にも一気に広がる可能性
だってある。 そうなれば、自分の人生も含め、仲間が人生を掛けても
食っていけるくらいは出来るはず、なら苦労する価値は充分あると考えた
のですが、そのきっかけは、何の前触れも無く、ある日突然来たのです。
話を平成19年9月に戻す前にひとつお断りしておきたい事があります。
それは僕の話し方であり、群馬県前橋市の方言についてでもあります。
第一に「俺」「僕」が混在して出てくる事になるでしょうが、時に「僕」と呼び、
時には「俺」と呼ぶ、それが普段着の著者なのだとご理解ください。
それと、話し方というか、書き方というか、普段僕が話しをする話し方の
ままを文字にするので、例えば先程の「話し方のまま」は「話し方のまんま」
となったりするのです。もっと言えば「です。ます調」や「である。だ調」に
統一するのが本来なのでしょうが、本人の話し方そのものが日頃から
統一されていないので、いつもの話し方のまんまで書く事をお許し願い
たいのです。 僕を知る人が読めば、口調や話している姿が、そのまま
映像として浮かんでくるような、書き方がしたいのです。
文章力の無い僕が長文を書くには、文字が映像として頭の中に浮か
んでくるような、著者である僕と、読者であるあなたが会話をしているような
文章にしたいし、それが出来なければ睡眠薬のような本になっちゃうかもです。
国語を専門とされる先生方にっとては滅茶苦茶な文法や、有り得ない
書き方にイライラして、疲れちゃうかもしれないけど、書き方や体裁や
文章の取り決めより、僕の伝えたい事が、読んでくれる方々にそのまんま
伝わる事のほうがずっと大事なんです。
この本は読む為の本というより、読んだ方々が実践として使える事を
前提として書きたいので、読んで疲れない本、いつの間にか読み終えて
しまったと思える本になれたら最高です。
前置きはこのくらいにして、公然と忌み嫌って来た葬儀の仕事をする
きっかけとなった日から話を始めてみたいと思います。 つづく
国保に入っていれば一銭も掛らない火葬葬儀
平成23年3月1日、3年前に第一の目標として掲げた国保加入
者が死亡時に「葬祭費」名目で支給される「5万円」だけで可能
な火葬支援パックが、ついに実現するに至りました。
実質ゼロ円で可能な火葬葬儀一銭も要らない火葬葬儀である、
あんしんサポート5万円火葬支援パックの内容は次の通りです。
・支援地域内の病院に、専用車両で、指定時間に、ご遺体のお迎え
に行きます
・搬送用防水シートを使用し、ご自宅(安置所)に搬送
・自宅(安置所)の布団にご安置しドライアイスで腐敗遅延処置を
行ないます
・末期の水をとり、線香具一式を揃え線香をあげます
・死亡診断書を記入し居住地又は火葬する施設のある役所に死亡
届出代行(火葬予約)
・死亡診断書コピー五枚
・打合せ終了後、棺の準備が整った時点で布棺に納棺します
・火葬予約当日、霊柩車にて火葬場に搬送します
・火葬後、七寸骨壷に拾骨し銀張箱に入れて火葬葬儀は終了です
この火葬支援パックは、家族の思いや予算により、旅支度、生花、
祭壇等、十数項目の追加が可能になっている点がポイントで、最も
神経を使った部分です。
残った家族は5万円の他に多少費用が掛ったとしても、せめて旅支度
だけは整えてあげたいとか、お花くらいは供えてあげたい。
など家族の財布事情により様々な思いがあって当然です。
追加をしなくても火葬可能な必要最低限のパックを設定し、家族毎の
思いで追加できれば、現状多く見られるパック外項目で必要な物を
追加しなければ実際には火葬も葬儀もできないなどの不合理も避け
られると考えたからです。
国保は現役を離れ、社会保険から変更されているからで、5万円
火葬支援パックの登場で、極端な言い方をすれば、所持金がゼロでも
火葬はできる訳ですから お年寄りのくちから出る「死ぬ前にいくら残し
ておけば・・・」といった悩みは無くなるのです。
金は生きている時に使うものであり、死ぬ為に貯めるものではない。
少額年金で暮らすお年寄りには、声を大にして言いたいし、もう安心
だと伝えたい。
でも現状の高額葬儀を否定している訳ではない。
お金のある人や豪華な葬儀をしたい人は遠慮せずにして欲しい。
ただ世の中にはしたくても出来ない人達がいくらでも居る事、葬儀自体に
費用を掛けたくないと考える人達も沢山いる訳で、特に前者の財布
事情が許さない人達を始めとした弱者のちからになれたらという思いが
もっとも大きな、そして大切なことでありあんしんサポートを設立した
最大の目的でもあるのです。
目標設定から3年後に実現した火葬支援パックですが、当時は誰もが
無理だと判断をした事であり、僕自身でさえも実現するかどうかさえ
分らない現実だったのに、当の本人はできる事しか考えないから出来た
とも言えましょう。
なぜ、できる事だけを考えたか、、それは話を聞いた百人が百人、誰もが
賛同する内容だった事、そして、百人が百人、でも無理でしょ? できる
はずが無いと考えるほど凄い事だったからです。
お迎えに行く病院と安置する自宅等が、県内の支援地域内なら何処でも
一律、税込5万円だけで出来る火葬パックの実現は、大変かもしれ
ないが、完成したら助かる人、喜んでくれる人、そんな支援が生まれる
のを待っている人達が、いくらでも居るのは明らかであり、これからの
時代背景を考慮すると、県内だけでなく、国内にも一気に広がる可能性
だってある。 そうなれば、自分の人生も含め、仲間が人生を掛けても
食っていけるくらいは出来るはず、なら苦労する価値は充分あると考えた
のですが、そのきっかけは、何の前触れも無く、ある日突然来たのです。
話を平成19年9月に戻す前にひとつお断りしておきたい事があります。
それは僕の話し方であり、群馬県前橋市の方言についてでもあります。
第一に「俺」「僕」が混在して出てくる事になるでしょうが、時に「僕」と呼び、
時には「俺」と呼ぶ、それが普段着の著者なのだとご理解ください。
それと、話し方というか、書き方というか、普段僕が話しをする話し方の
ままを文字にするので、例えば先程の「話し方のまま」は「話し方のまんま」
となったりするのです。もっと言えば「です。ます調」や「である。だ調」に
統一するのが本来なのでしょうが、本人の話し方そのものが日頃から
統一されていないので、いつもの話し方のまんまで書く事をお許し願い
たいのです。 僕を知る人が読めば、口調や話している姿が、そのまま
映像として浮かんでくるような、書き方がしたいのです。
文章力の無い僕が長文を書くには、文字が映像として頭の中に浮か
んでくるような、著者である僕と、読者であるあなたが会話をしているような
文章にしたいし、それが出来なければ睡眠薬のような本になっちゃうかもです。
国語を専門とされる先生方にっとては滅茶苦茶な文法や、有り得ない
書き方にイライラして、疲れちゃうかもしれないけど、書き方や体裁や
文章の取り決めより、僕の伝えたい事が、読んでくれる方々にそのまんま
伝わる事のほうがずっと大事なんです。
この本は読む為の本というより、読んだ方々が実践として使える事を
前提として書きたいので、読んで疲れない本、いつの間にか読み終えて
しまったと思える本になれたら最高です。
前置きはこのくらいにして、公然と忌み嫌って来た葬儀の仕事をする
きっかけとなった日から話を始めてみたいと思います。 つづく
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