前回文末の『最大ポイント』とは【最後を見取ってくれたお婆さんが
1人残ったと思い神奈川まで会いに行ったこと】です。
え? そんなことなの?と思うかもしれませんが、元々葬儀なんて
全く関心はないのですから、僕が葬儀に関心を持つ、、それ自体が
僕を知る人達からみれば、あり得ない事だと思えたはずです。
■ 団塊の世代が終幕を迎え葬儀が増えるのを見越した事
■ 高額な葬儀に疑問を感じ低料金葬儀を創造した
■ 国保から支給される葬祭費5万円に注目した
■ 目標を達成するまで諦めない持続力と行動力、、などの全ては
神奈川に行って以降、気づき考えたりしたことであり、一晩中話を
聞く機会がなければ今でも葬儀とは無縁の世界にいたはずです。
その後、何度もきっかけを聞かれる度に神奈川まで会いに行った
話をしましたが、誰一人として自分も会いに行くと言った人はなく
「自分なら絶対に会いに行ってませんね」という人ばかりでした。
皆さんが僕の立場だったら、同じように神奈川まで行きましたか?
【中学3年の時、家業倒産、父親は家族を捨て蒸発し行方不明】
確かに、この部分だけを捉えれば、会いたくないと思って当然かも
しれませんが、よーく考えれば、15才までの間は普通の人以上に
贅沢をさせて貰えたし、恵まれていた訳で父親のお蔭なのです。
それに事業をしていれば成功もあるし倒産もついてまわるもので、
父親も一生懸命頑張っていたはずです。
倒産後の責任を取らず蒸発・・・に関してはちと頂けませんが反面
教師としてとらえれば良いでけの話です。
当時から人生とは自分の意志と能力と努力で切り開くものと思って
いたので、生活の変化に関しては人が言うほど辛くはないし、この
生活が普通なんだと思ったのを覚えています。
家業倒産から落ち着くまで数年間だけが少し波乱だっただけです。
それから38年の時を経て、今度は突然訃報の手紙が届いたので
少し驚きはしましたが、何の知らせもないままよりは、ずっと良いと
思えたし、遺言書の開封には仕事で行けませんでしたが、行けた
妹の話では、国内外あちこち旅行もし出来て、そこそこの生活では
あったと聞かされ、ホッとしたものです。
ただ30年以上、籍も入れず、子も作らず、一緒に暮らしてこられた
女性も70才前後のお婆さんだろう、、、としたら、これから先はどう
やって生きて行くのか? 父親を長年面倒みてくれた女性に対して
何ができるか、何が必要なのかは全く分からないが、とりあえずは
息子である自分からお礼と、今後の話をしなければ後々後悔する
だろうと思い、すぐ連絡を取って会いに行ったわけで、直接会って
みれば61才の女性であり、これから人生を築いていける方であり
今後の生活も目途がついておられたので、彼女の生活に関しては
心配要らないと分り、それだけでも後々気にせずに済みます。
その上で父親との生活の話、僕の名前は甥だと何度も聞いた話、
旅行の話や、自分の終幕後の段取りを全てしてあった話なども聞く
ことが出来たことで、僕の中に『葬儀とは何ぞや?』という疑問が
生まれ、調べ、分らずで、直接聞いたのが千明であり寺や葬儀社に
出向いて話を聞けば聞くほど、葬儀をされた家族の言い分とは違う
ことに更なる疑問を持ち、あんしんサポート設立へと繋がります。
皆さんが僕の立場だったなら、一人残されたお婆さんに会いに行き
ますか? いきませんか? 結果の良し悪しでなく、行くと答えた方
なら新たな何かを発見や生みだす可能性もありますが、行かないと
答えた方は、この件に関連する何かを生み出す事はないでしょう。
何の成功もしてない僕が言うのも変ですが、日々何気なくしている
【YES・NO】や【右・左】の小さな選択の違いが、人生を大きく変化
させる一歩であることは間違いありません。
ならどうすれば良いか、そんなの僕程度の人間には分りませんが、
【同じ後悔するなら、やらずの後悔だけはしたくない】
これが武井流の考え方の基本なのだと思えます。
自分の過去を振り返ると、やった後悔より、やらなかった、できなか
った後悔のほうが遥かに多いからです。
あなたは人生の中で、どちらの後悔が多いですか?
そこから、なにかの教訓を得られましたか?
1人残ったと思い神奈川まで会いに行ったこと】です。
え? そんなことなの?と思うかもしれませんが、元々葬儀なんて
全く関心はないのですから、僕が葬儀に関心を持つ、、それ自体が
僕を知る人達からみれば、あり得ない事だと思えたはずです。
■ 団塊の世代が終幕を迎え葬儀が増えるのを見越した事
■ 高額な葬儀に疑問を感じ低料金葬儀を創造した
■ 国保から支給される葬祭費5万円に注目した
■ 目標を達成するまで諦めない持続力と行動力、、などの全ては
神奈川に行って以降、気づき考えたりしたことであり、一晩中話を
聞く機会がなければ今でも葬儀とは無縁の世界にいたはずです。
その後、何度もきっかけを聞かれる度に神奈川まで会いに行った
話をしましたが、誰一人として自分も会いに行くと言った人はなく
「自分なら絶対に会いに行ってませんね」という人ばかりでした。
皆さんが僕の立場だったら、同じように神奈川まで行きましたか?
【中学3年の時、家業倒産、父親は家族を捨て蒸発し行方不明】
確かに、この部分だけを捉えれば、会いたくないと思って当然かも
しれませんが、よーく考えれば、15才までの間は普通の人以上に
贅沢をさせて貰えたし、恵まれていた訳で父親のお蔭なのです。
それに事業をしていれば成功もあるし倒産もついてまわるもので、
父親も一生懸命頑張っていたはずです。
倒産後の責任を取らず蒸発・・・に関してはちと頂けませんが反面
教師としてとらえれば良いでけの話です。
当時から人生とは自分の意志と能力と努力で切り開くものと思って
いたので、生活の変化に関しては人が言うほど辛くはないし、この
生活が普通なんだと思ったのを覚えています。
家業倒産から落ち着くまで数年間だけが少し波乱だっただけです。
それから38年の時を経て、今度は突然訃報の手紙が届いたので
少し驚きはしましたが、何の知らせもないままよりは、ずっと良いと
思えたし、遺言書の開封には仕事で行けませんでしたが、行けた
妹の話では、国内外あちこち旅行もし出来て、そこそこの生活では
あったと聞かされ、ホッとしたものです。
ただ30年以上、籍も入れず、子も作らず、一緒に暮らしてこられた
女性も70才前後のお婆さんだろう、、、としたら、これから先はどう
やって生きて行くのか? 父親を長年面倒みてくれた女性に対して
何ができるか、何が必要なのかは全く分からないが、とりあえずは
息子である自分からお礼と、今後の話をしなければ後々後悔する
だろうと思い、すぐ連絡を取って会いに行ったわけで、直接会って
みれば61才の女性であり、これから人生を築いていける方であり
今後の生活も目途がついておられたので、彼女の生活に関しては
心配要らないと分り、それだけでも後々気にせずに済みます。
その上で父親との生活の話、僕の名前は甥だと何度も聞いた話、
旅行の話や、自分の終幕後の段取りを全てしてあった話なども聞く
ことが出来たことで、僕の中に『葬儀とは何ぞや?』という疑問が
生まれ、調べ、分らずで、直接聞いたのが千明であり寺や葬儀社に
出向いて話を聞けば聞くほど、葬儀をされた家族の言い分とは違う
ことに更なる疑問を持ち、あんしんサポート設立へと繋がります。
皆さんが僕の立場だったなら、一人残されたお婆さんに会いに行き
ますか? いきませんか? 結果の良し悪しでなく、行くと答えた方
なら新たな何かを発見や生みだす可能性もありますが、行かないと
答えた方は、この件に関連する何かを生み出す事はないでしょう。
何の成功もしてない僕が言うのも変ですが、日々何気なくしている
【YES・NO】や【右・左】の小さな選択の違いが、人生を大きく変化
させる一歩であることは間違いありません。
ならどうすれば良いか、そんなの僕程度の人間には分りませんが、
【同じ後悔するなら、やらずの後悔だけはしたくない】
これが武井流の考え方の基本なのだと思えます。
自分の過去を振り返ると、やった後悔より、やらなかった、できなか
った後悔のほうが遥かに多いからです。
あなたは人生の中で、どちらの後悔が多いですか?
そこから、なにかの教訓を得られましたか?
↓↓↓↓
にほんブログ村
ひとつひとつの葬儀を確認・反省・向上する為に書く実践日誌でもあり、
これから葬儀を経験される方々が後悔しない為に役に立てたらとの
思いを込めて書いています。 宜しければクリックをお願いします