710. お盆の事を書いたら、遠い昔の自分に戻れました昨日、お盆にたいする自分の考え方を書いたせいか、時間が空いて一人になった時、50年前の自分が蘇ってきました。家業がスーパーになる前、魚屋さんの時代であり、僕自身は幼稚園か、小学校低学年の夏のようです。最初の場面は、部屋の四隅に吊った蚊帳の紐を外し、部屋の中に広がった蚊帳の上で泳ぐような仕草をする自分の姿です。次はお婆ちゃんに急かされ、ラジオ体操出席カードを首から下げながら、眠そうな顔で歩いていく姿でした。場面は昼下がり、セミの鳴き声がうるさいほどの中、ギラギラした太陽が眩しく入道雲も見えます。一人の幼馴染が片手に味噌のおにぎりを持ち、片手に茄子の漬物を一本持ちランニングシャツと半ズボン姿で遊びにきました。それを見た僕は、前掛けを掛けて働いてる親戚の叔母ちゃんに友達と同じ物を作って欲しいとお願いし、2人でおにぎりを持って笑顔で何処かに走っていく姿です。夕方、友達のお母さんが遊んでいる友達を呼びに来ると、アバネと言って帰っていきます。 アバネ?、今は使いませんが当時の言葉で「またね」という意味だと思います。僕の家は商売をしているので、まだ帰っても構って貰えませんが誰もいなくなった保育園の庭から家に戻どる途中、電信柱の上に大きな蜘蛛が大きな巣を張っているのが見え、その横を見ると屋根に煙突があり、夕飯の支度かお風呂を沸かす煙が出ている。まだ舗装されてない道を歩いて帰ると、よその家の前に縁台が置いてあり、お爺さんがうちわを持って座り、横には蚊取り線香が灯っている、、、何処かのおばさんが、僕を抜いて先に歩いていきながら、縁台のお爺さんに「こんばんは」と挨拶、お爺さんも挨拶。お爺さんの前まで歩くと、家の中が丸見えなほど全て開けてある。自宅に戻ると、泥だらけの僕をお婆ちゃんがホウキで叩いて汚れとりをし、お店の隅にある井戸水がいつも流れてる木の樽の横で足を洗ってから家にあがるのを許されるのです。丸いちゃぶ台には、真ん中にそうめんの入ったザルを置いてあり、そうめんには赤と緑の麺が数本入ってて、それを取って喜んでる僕の姿があります。 肘をついて食べてたらお婆ちゃんに叱られましたが、ちゃんと正座して食べています。次の場面は半分寝ぼけた僕のパジャマを下ろして、ちんちんを引っ張りだしておしっこさせてくれるお婆ちゃんがいました。タイムスリップはここで終了、、、きっと1~2分のことだろうと思うのですが、懐かしい自分に出会えて、ほっともするし、今の時代や今の生き方が忙しなく、人間らしい何かが欠けているようにも思えひとつの標語が頭に浮かんできました。『狭い日本、そんなに急いで何処へ行く』これは僕が子供の頃に見た運転マナーの標語だと思いますが、これを人生に置き換えた何かを感じたのかもしれません。今のあなたは夕焼けが目に入りますか? 空や雲や星が目に映るだけの、、、心の余裕がありますか?↓↓↓↓ にほんブログ村ひとつひとつの葬儀を確認・反省・向上する為に書く実践日誌でもあり、これから葬儀を経験される方々が後悔しない為に役に立てたらとの思いを込めて書いています。 宜しければクリックをお願いします