1ケ月後にお盆を控えた昨日、今月初めての散骨でした。

5名の方の散骨に家族8名が同行され、お一人は事務所に

来て貰い我々と同じ車で、他の7名は現地に近いコンビニで

待合せをしての散骨です。

午前8時50分、我々は4名で1時間30分のドライブに出発。

幸い道は混んでおらず、予定通り1時間30分で到着をすると、

すでに7名の方々は来ており、早くきたので近くの観光地見物

まで終えているとのことでした。

すぐに車を連ねて散骨場近くまで行き、数分歩いて山を登ると

あんしんサポート専用散骨場です。

400坪の好きなところへ散骨し、花を供えたり、線香を供えたり

中には線香を供えない宗教の方もいらっしゃいます。

写真を撮り、あとで差し上げる旨を伝え、散骨についての話を

少しすると、仏式感覚の家族から供養の話題がでました。

どうも皆さん、、何をすれば供養になるのか? 教えて欲しいと

いう感覚をお持ちのようなので、いつものように話しをしました。

ここで言う供養とは、故人が喜んでくれる事、故人が気分よく

成仏できること・・・と解釈て貰えれば良いでしょう。

① 自分が故人だったらと考えてみてください。

あなたは何をして貰ったら嬉しい? 或いは成仏できますか?

線香をあげたら? 供物を供えたら? 墓を建てたら? 或いは

お坊さんに拝んで貰ったら? それらが供養になりますか?と

お聞きすると、誰一人「そうだ」という意見はありませんでした。

② ならば聞き方を変え『あなたが嬉しい、或いは寂しい』のは

どんな時ですか? 嬉しいならそうすれば良いし、寂しいなら

逆をすれば良いって事では? と質問をかえて聞き直します。

線香を供えてくれたり、花や供物を供えてくれたら嬉しいと思う

という意見だけが出たので聞き返します。

それは、線香、花、供物が嬉しいのですか? それとも供えて

くれた人の気持ちが嬉しいのですか?すると全員がくちを揃え

物ではなく『気持ち』が嬉しいと言います。

そこでいつもの話を始めます。

「今の話を聞いて分るように人が嬉しいと感じるのは、人の心に

対して、それも家族や自分を良く知る人の心にです。 だから、

最高の供養に費用は掛かりません。 でも心が無ければでき

ない事でもあります。 そのわけは、いつまでも自分を忘れずに

いてくれること、時々で良いから思い出してくれる事が故人である

自分には供養になると思えるからであり、さらに言えば最愛なる

家族全員が毎日を元気な笑顔で過ごしている姿を見せ続けて

くれることが故人にとって最高供養ではないでしょうか? 

最高の供養は故人が愛し、愛された人だけにできるものです。

勿論、故人や家族が厚く信仰する宗教を持っているなら、その

信仰の考え方を最優先すれば良いし、あまり信仰心の無い人

なら僕の話を心に留めておいて間違いありません。 親戚を始め

として人は好き勝手を言いますが、その人が言う、こうしなければ

浮かばれない・・・その考え方こそ自分の感覚を人に押し付けて

いるにほかなりません。 その時は、あなたに主張があるように

我々家族にも主張はあるのです。 と答えれば良いでしょう。」と

伝えると皆さん納得されたようで笑顔になりました。

笑顔の理由は、お金を掛けることが供養ではないと言われた事

からの安心感と、自分が先に逝った家族の事を想い、考えている

こと自体が供養なのだと分かった事による安堵感でしょう。

人が逝去したあと、どんな世界があるのか? なにも無いのか?

死んでみにきゃ分らないのが本当のところです。

でも、残した愛する家族の生活に支障をきたす費用を掛けてまで

自分の供養をして欲しいと思う人は少ないはずです。

生前にそう考える人なら、逝去されても一緒でしょ?

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