千明とお昼を食べながら事前相談や打合せの時、話をする
自分のスタンスが僕とは若干の違いがあることに気づいた。
僕はどんな相談でも殆ど考える事なく話を進めるのに対して
千明は時々戸惑うこともあるのだという。
その違いは何かを話し合っていると、ひとつの事が分かった。
千明は葬儀屋さんの土俵に近い部分のスタンスで話しをする
ことがあるようだ。 分かり易く言えば、ほぼ同じ内容の葬儀
なら、他社の半額~4分の1で可能なのが、あんしんサポート
ですよ、、、って依頼者や相談者に答えたくなるようです。
間違ってもいないし、一番分かり易い部分なので、その点を
強調する気持ちは分かるが、僕はその土俵で話をしない。
高いか、安いか、豪華か、質素かなどは全て個人の感覚で
違うものだからであり、基本的にはそれは結果論だからだ。
ならどんな土俵の上で話しを進めているか、、、それは、、、
【第1】 葬儀は誰が何の為に行うか?
結論を言えば『家族とのお別れの場』が葬儀であり、そこには
宗教も、親戚も、隣保も存在せず家族を中心に故人と親しい
人達が別れを受け入れる為の場(時)が葬儀だと思っている。
【第2】 財布事情も含めた家族の都合と意思を最優先する。
家族とのお別れの場で最低限必要なことは、法律に沿っての
火葬を行うことであり、それ以外は家族毎に全て違って当然で
あると思っている。 いくつか例を挙げれば分かり易いかも、、、
① 家族と心が開ける人達が集まり、故人の好きな歌を流して
故人の好きな物を食べて、故人の写真を広げて思い出話をする
② 故人が好きだったカラオケ大会を開き、故人の歌った録音が
あれば流し、みんなで故人の好きだった歌も含め盛りあがる
③ 火葬後、少しの焼骨を持って故人と一緒に行った旅先を巡り
その時々の場面を思い出しながらの家族旅行をする
他にも色々あるでしょうが、本来これが葬儀だと思っています。
故人との思い出を悲しみから良い思い出に変換する為の日々
こそ、家族が別れを受け入れられる時であり、その全てが葬儀
なのだと思っているのです。
【第3】 その家族にできる事をするのが、あんしんサポート
自分達家族の思いや、したい事があっても世間の慣習だとか
くちだけ出す親戚だとか、信仰心も無いのに宗教だとか、更に
葬儀屋さんの考える普通だとかで、思ったような事ができない
人達のちからになり、家族の本音でできる事を実践するのが、
あんしんサポートという存在だと思っています。
但し、できる事はできるが、出来ないことは出来ないとハッキリ
伝えるのも僕ですが、、、無責任なことはしたくないからです。
これが【打合せをする自分の土俵でありスタンス】のようです。
残る家族の都合を最優先した葬儀を創り実践する姿勢だけは
これからも変わらないでしょう。
だから、相手が誰でも外野に惑わされることはない。
親戚でも、宗教者でも、隣保でも、僕から見ると外野ですが、
唯一外野でないのは、費用を出してくれる人だけです。
改めてこんな話をしてたら何となく分った事もありました。
他の葬儀社さんが、なにをしようと殆ど関心も興味もないのは
何故か?ってこと。 僕にとっては依頼する家族の思いに対し
応えていくのが仕事で、そこに他の葬儀社は存在しません。
現にあんしんサポートの行う葬儀数日間は、オリジナルだと
業者さんにも言われるほどに変化し続けています。
その全てが毎日のように相談に来る会員さんや依頼者であり、
当方で葬儀をされた家族の言動から、学んだことばかりです。
今回のブログは、葬儀に対する固定概念の強い方や信仰心の
厚い方などには理解され難いかもしれません。
『僕らは依頼家族の都合と本音の意思を実現するのが仕事』
来社される方からの電話で話は終わりましたが、いつも堂々と
して誰に媚びることもなく、臆することもなく、常に家族の一員
のような言動を続ける代表が少し理解できたと言っていました。
ときたま昼飯を食いながら話したことで、自分の根底に流れる
源流が自覚できたのは大きな収穫でした。
自分のスタンスが僕とは若干の違いがあることに気づいた。
僕はどんな相談でも殆ど考える事なく話を進めるのに対して
千明は時々戸惑うこともあるのだという。
その違いは何かを話し合っていると、ひとつの事が分かった。
千明は葬儀屋さんの土俵に近い部分のスタンスで話しをする
ことがあるようだ。 分かり易く言えば、ほぼ同じ内容の葬儀
なら、他社の半額~4分の1で可能なのが、あんしんサポート
ですよ、、、って依頼者や相談者に答えたくなるようです。
間違ってもいないし、一番分かり易い部分なので、その点を
強調する気持ちは分かるが、僕はその土俵で話をしない。
高いか、安いか、豪華か、質素かなどは全て個人の感覚で
違うものだからであり、基本的にはそれは結果論だからだ。
ならどんな土俵の上で話しを進めているか、、、それは、、、
【第1】 葬儀は誰が何の為に行うか?
結論を言えば『家族とのお別れの場』が葬儀であり、そこには
宗教も、親戚も、隣保も存在せず家族を中心に故人と親しい
人達が別れを受け入れる為の場(時)が葬儀だと思っている。
【第2】 財布事情も含めた家族の都合と意思を最優先する。
家族とのお別れの場で最低限必要なことは、法律に沿っての
火葬を行うことであり、それ以外は家族毎に全て違って当然で
あると思っている。 いくつか例を挙げれば分かり易いかも、、、
① 家族と心が開ける人達が集まり、故人の好きな歌を流して
故人の好きな物を食べて、故人の写真を広げて思い出話をする
② 故人が好きだったカラオケ大会を開き、故人の歌った録音が
あれば流し、みんなで故人の好きだった歌も含め盛りあがる
③ 火葬後、少しの焼骨を持って故人と一緒に行った旅先を巡り
その時々の場面を思い出しながらの家族旅行をする
他にも色々あるでしょうが、本来これが葬儀だと思っています。
故人との思い出を悲しみから良い思い出に変換する為の日々
こそ、家族が別れを受け入れられる時であり、その全てが葬儀
なのだと思っているのです。
【第3】 その家族にできる事をするのが、あんしんサポート
自分達家族の思いや、したい事があっても世間の慣習だとか
くちだけ出す親戚だとか、信仰心も無いのに宗教だとか、更に
葬儀屋さんの考える普通だとかで、思ったような事ができない
人達のちからになり、家族の本音でできる事を実践するのが、
あんしんサポートという存在だと思っています。
但し、できる事はできるが、出来ないことは出来ないとハッキリ
伝えるのも僕ですが、、、無責任なことはしたくないからです。
これが【打合せをする自分の土俵でありスタンス】のようです。
残る家族の都合を最優先した葬儀を創り実践する姿勢だけは
これからも変わらないでしょう。
だから、相手が誰でも外野に惑わされることはない。
親戚でも、宗教者でも、隣保でも、僕から見ると外野ですが、
唯一外野でないのは、費用を出してくれる人だけです。
改めてこんな話をしてたら何となく分った事もありました。
他の葬儀社さんが、なにをしようと殆ど関心も興味もないのは
何故か?ってこと。 僕にとっては依頼する家族の思いに対し
応えていくのが仕事で、そこに他の葬儀社は存在しません。
現にあんしんサポートの行う葬儀数日間は、オリジナルだと
業者さんにも言われるほどに変化し続けています。
その全てが毎日のように相談に来る会員さんや依頼者であり、
当方で葬儀をされた家族の言動から、学んだことばかりです。
今回のブログは、葬儀に対する固定概念の強い方や信仰心の
厚い方などには理解され難いかもしれません。
『僕らは依頼家族の都合と本音の意思を実現するのが仕事』
来社される方からの電話で話は終わりましたが、いつも堂々と
して誰に媚びることもなく、臆することもなく、常に家族の一員
のような言動を続ける代表が少し理解できたと言っていました。
ときたま昼飯を食いながら話したことで、自分の根底に流れる
源流が自覚できたのは大きな収穫でした。
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これから葬儀を経験される方々が後悔しない為に役に立てたらとの
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