NHKの放送後は、今まで以上に『称賛』の声を耳にする機会が

増えているけど、その度に『うーむ・・・』こんな心境になる自分が

いるのを感じている。

非難されるより何百倍も良いのは確かだし、僕に直接言う人は

若干誇張した言い方になるだろう事も理解は出来るのですが、

人様がいうほど立派な人間でない事は、自分が一番良く知って

いるだけに気恥ずかしさもあるし、一人の人間、一人の男として

本音に近い部分で生きたいと思っている俺にとって、少し窮屈な

印象があるし、建前で生きる世界に戻りたくないのもある。

変な言い方だけど25年間、株式会社を経営していた頃は良くも

悪くも建前の多い中で生きてきた感がある。

一般の個人顧客はまだしも、法人同士で相手が主導権を持って

いる場合など実に顕著で、相手担当者や経営陣に気を遣い金も

使って、理不尽な要求にも笑顔で対応するのが当たり前である。

こう書けば、どんな仕事だって経営者でなくサラリーマンなら更に

社内の上司に神経を遣う訳だから、大差ないどころかもっと大変

なんだと言われそうだし、その通りだと思います。

だけど人生50年を過ぎて、心のどこかで余禄の人生なら自分の

本音に近い部分で生きてみたい、、、素の俺が、、、自分の中で

無理をせずに自然に頑張っちゃうような仕事、、、

60才を過ぎて、定年後は生き甲斐を失くしたように生きる人達を

見てきたのだから、自分は生き甲斐や遣り甲斐のある仕事をして

食っていけたら最高だと思っていたのも事実なのです。

父親の死が立ち上がるきっかけなのは確かですが、素の自分に

近い部分で生きたいと思っていたのも、あんしんサポートを興す

要因のひとつだったと思います。

また人によって様々な性(さが)があり、僕の場合自分が何かを

した事で、相手が喜んでくれる姿を見ると嬉しく感じるタイプ・・・

という性を持っているだけの事なんだろうと思う。 

ちなみに性(さが)とは[ 生まれながらの心のあり方]の事です。

突き詰めれば、人様の為になっているかもしれないし、当然そう

思い、考えて言動はしているけど、全ては自分の為なんです。

今回のブログは、一緒に仕事をしている千明や息子に読んで

欲しいと思って書いています。

あんしんサポートを続けられたら、今以上に凄い人だ、善人だと

称賛の声を聞かされる事もあるでしょうが、世間の目や賛美の

声に惑わされることなく、自分の慶びを一番に、素の自分に近い

ところで動けるなら続けて欲しいけど、世間や周囲の期待の為

だけで続けて欲しいとは思ってない事を伝えておきたいからです。

素の自分で言動し、それを良しと高評価して貰えるなら思うまま

突き進めば良いでしょうが、素の自分を抑え周囲の期待で動く

のは限界もあるし、楽しくないからです。

終幕の心配をする事なく、各々の人生を精一杯謳歌し、楽しんで

欲しいと言っている自分達が、責任感や、周囲の期待感を裏切ら

ない為が主で動き、いつの間にか、自分の人生を楽しむことがで

きない仕事になっていたら、そんな馬鹿な話はありませんからね。

今回は、僕の中に生まれた素朴な疑問について書いてみました。

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