【葬儀とはなんぞや】と考え、家族が自分達や故人と親交のあった
人達と故人がお別れをする事だと学び、一人一人、一軒一軒で
思い、事情、都合が違うのだから、それぞれの葬儀があって当たり前
であり、ゆえに我流葬儀で当然だと改めて認識し、その施行には
守る法律がある事も理解できたでしょうか?
こうして考えていくと、葬儀とは誰の為に行うものかが見えてくる。
皆さんには、葬儀は『誰の為に』『何を』する事と見えたでしょう?
僕はこんな風に思います。誰の為と言えば最終的には故人供養
の為でしょう。 でなかったら、宗教や宗教者を否定する事になるかも
しれません。
個人的には無信仰ですが、信仰を持つ人達を否定はしません。
信仰心が人として生きる上で、前向きに、肯定的に、弱者に優しく、
協調性を持って、生きる指針となっているなら、どんな宗教でも
良い事だし、亡くなった人を供養する気持には自分がこの世に
生を受けるには、先祖代々の遺伝子を受け継いできたからである
という自覚や感謝を持つ心も良いことだと思うのです。
なら故人の為とか、故人の供養ってどんな事でしょう?
何をすることでしょう? それが分かれば、葬儀の内容や規模、
或いは必要な費用も分かるはずです。 一緒に考えましょう。
何が供養かを考える前に『故人の為』が前提なのですから、
故人にとって何が供養になるかって事であり、故人が何を供養と
思ってくれるか、が最優先です。
そこで僕は『自分が故人だったなら・・・』って考えるのが最善だと
思います。
人に魂があるなら、その魂が違うから人それぞれ個性があるって事
なんだろうしならば、それぞれ価値観だって違って当然のはず。
生前、赤提灯で飲むのが好きな人もいれば、高級クラブが好きな
人もいるし 派手好きだった人もいれば、派手な事を嫌う人だっている。
そう考えると、豪華で派手で賑やかなお葬式を好む人もいれば、
家族だけで厳かに・・・って考える人だっているって事です。
但し、ある大事な条件を加味しない場合の話です。
その条件とは自分が居なくなった後の家族の生活を始めとした
『残った家族について』が加味された場合での『自分が故人だったら』
ってことになります。・・・つづく
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『世間に通用する我流葬儀の勧め(仮題)』の下書き文章です。
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葬儀にするお役に立てればとの思いを込めて書いています。
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