自分達家族の為に行うのが葬儀の大前提と書くと、中には世間を
全く無視した葬儀と考える方もおられるでしょうが、それは決して
褒められる方法では無いと思えます。
いくら家族の為とはいえ、世間は存在するし、自分達もその世間の
中で生活をしているからです。
道徳や倫理は変わりませんが、常識は時代の中で様々に変化します。
言葉ひとつをとっても、つい最近まで『食べれる』って言えば『食べられる』
でしょ!と言っていた人達まで食べれると言い始めている現実があるし、
常識とは言いませんが、昔は離婚した人達は黙っているのが当然だった
ものが、今では普通にバツイチ、バツニと言える時代へと変化しました。
同様に葬儀も20年前なら自宅の葬儀が当たり前だったのに、今では
自宅での葬儀はかなり少ないのです。
棺に石で釘を打つ習慣も火葬場の都合で行ってはいませんし、もっと
驚くのは昔なら棺の中に孫の写真を入れるなんてあり得ない事で
『写真なんて入れたら一緒に連れていかれる』と毛嫌いしてたのに、
今では当たり前のように孫達の写真や家族の写真を入れる時代です。
皆さんの意識が変化し『我流葬儀』が増えてくると、全く新しい感覚の
葬儀を考え出す人だって出てくるでしょうが、時代の先端を行くなら最善
ですが、先過ぎると世間の壁にぶち当たる事になるでしょう。
そして受け入れては貰えない結果となります。
それはいかなる事柄でも過去の経緯を見れば分かります。
今は当たり前に空を飛ぶ飛行機ですが、飛行に成功する以前は、
世間から見れば変人でしか無かったでしょうし、嫌われ者だったとしても
不思議ではありません。
もっと身近な事では電化製品を考えてみれば分かります。
同じように発明されても短期間で、世に広まる物もあれば消えていく
物もある。
その違いは世間が認める物なら一気に拡大するけど、世間が受け
入れないと淘汰されるって事だと思う。
だから葬儀も世間の人達がある程度納得できるものにするほうが、
より早く世間に広がるんじゃないかな。
それと、どうせなら皆から非難されるより、認めて貰える葬儀のほうが
家族だって気分は良いですからね。
これが我流であっても世間が認めてくれる葬儀を作るべきだという
答えです。
『火葬だけの葬儀』は以前と比較に成らないほど認知されていますし、
この数年一気に増えたのが『散骨』で少子化による墓守不在現象や、
建墓や管理に掛かる費用が大き過ぎるのも要因のひとつでしょう。
また墓の存在が国内外問わず、広い世界へ羽ばたこうとする人達の
足かせになっている点も無視できません。
自分達家族の思いを専門家と相談しながら、世間に通用する内容で
作り上げて実践すれば、今までの言いなり葬儀とは、比較にならない
ほど満足する自分がいることに驚くでしょう。 ・・・つづく
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『世間に通用する我流葬儀の勧め(仮題)』の下書き文章です。
これから葬儀の喪主や施主をされる方々にとって、後悔の少ない
葬儀にするお役に立てればとの思いを込めて書いています。
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