昨日のブログに書いた通り、本日の火葬が終了しました。 火葬までの


80分間、お清めの料理を食べたり、火葬中はお菓子乾き物、おにぎり


などで過ごし、民間の葬儀社に戻って豪華な食事・・・なんてのが一般


的になっていますが、本日はお茶と少々のお菓子で火葬時間を過ごし


ました。 だけど故人の娘さん達姉妹の顔は、一昨日とは違い晴れやか


な笑顔です。 父親をちゃんと火葬してあげられる・・・たったこれだけの


事でも『良かったね お父さん、、』って心の底から思える人もいるのです。


今朝出棺時、姉妹は近所のスーパー駐車場に停めてきたと車を取りに


行ったので、そのまま斎場に入っても問題の無い時間帯になってしまい


ましたが、違っても10分程度なのだからと地元の人なら誰でも知ってて


市を代表する場所であり、故人が近くに住んだ事もあるという観音山に


霊柩車で登って、街が一望できる場所を通ってから斎場へと入りました。


親戚の方が数名待っておられましたが、故人を乗せてドライブしてきた


旨を話すと喜んでくれました。 


さて、これを読むみなさん方ならどうでしょうか? 5万円の火葬ができる


だけで、同じように喜べるでしょうか? 晴れやかな顔で故人に対して


「良かったね・・・」って笑顔で言えるでしょうか? 言えるか、言えないか


なんて問題ではありません。 それだけ人の生活にはバラツキがあるって


事をみんなが自覚すれば良いだけの話です。 僕自身スーパーの息子


として生まれ、一般の家庭より裕福に育ち、今から45年前であっても


「ねぇ お父さんバンド始めたからドラム買って」 父親は「いくらくらい?」


「15万円かそこらじゃないかな」こんな会話が平気でできる生活でしたが


倒産した途端、高校生なのにギャバレーでバイトをし、お小遣いや学校


で必要なお金は自分で稼ぐしかない状況が当然の生活へと変化したの


です。 だからこそ分かる・・・人の生活はいくらでも変化する・・・それは


悪くなることもあれば、良くなることもあります。 だからこそ、どんな時でも


選択肢がある、、、今の自分達に適した葬儀ができる必要がある。


だから『我流葬儀』が必要であり、誰もが当然だと考える必要があるって


思うんです。 この辺では、こうして、あーして、これが当たり前の葬儀だ


って言われても、その結果、生活ができなきゃ本末転倒だって事くらいは


誰だって分かると思うのに・・・なんで地域特有の葬儀ができる人達・・・


多少高額な葬儀でも問題の無い家の人達は、生活をするだけでも


大変な人達に余計なお節介を言うんでしょう?


ま、考え方は人それぞれだし、人のくちに戸は立てられないって言うから


仕方ないのかもしれませんが『世間に通用する我流葬儀』を作れたら、


或いは、親戚や隣保からの風当たりを我々が防いであげられたら・・・


助かる人達っていくらでもいる・・・そんな実感をさせてくれた葬儀でした。


明日は姉妹を乗せて散骨に行ってきまーす。


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