昨日のブログに書いたように火葬だけの葬儀を選択する方々の中には


僕のように無信仰で、葬儀規模の大小に価値観を感じない人間ばかり


ではなく、多くの人達が思うような葬儀をしてあげたいが、お財布事情で


火葬だけの葬儀を選択される方もいるのを知り、やむおえず火葬を選択


された家族の心境を思うと辛くもあり、親戚、友人知人に対する自分の


顔というのもあるだろう事はうかがい知れる。 だからこそ言いたい言葉、


それは僕の著書『一銭も要らないお葬式』の裏表紙に書いた言葉でも


ある『人は執着を捨てれば楽に生きられる』ってのがある。


この言葉は賢者が言った訳でもなく、立派な人格者が説いた言葉でも


なく、凡人の僕の人生から生まれた言葉ですが、自分では好きな言葉


でもあります。 スーパーの息子として生まれ育ち、近隣のご近所さんや


同級生からは、金持ちの坊ちゃん育ちとして見られ現実もそうだったろう


と思えます。 それが稼業の倒産から一転して家賃4.500円の公営


住宅に祖父母と住み、高校生の時にはキャバレーでアルバイトを続ける


生活へと変貌した。 そこで『人の表裏』や『女性』や『裏の社会』そして


これから自分が生きる社会を知り、今自分の身体だけで稼げる金額等


良くも悪くも色々な経験をさせて貰えた。 その後、身体だけが資本の


僕は結婚後も仕事一筋の生活を続けて35才で会社を設立、年収も


一千数百万までは経験できたし、お金が無い時は財布の中にお札が


一枚も無いこともあった。 貧富両方の経験をしたせいだろうか、元々の


性格なのだろうか、お金があっても無くても、この年まで生きてこられたと


改めて考えたり、時には夜、大きな病院の窓を見ると明かりが見えるし


そこには今現在病気で苦しんでおられる方はいくらでもいる。 


今生死をさまよっている病人だっていくらでもいる。 でも普通に動ける


だけの健康が俺にはある。 金は無くても、こうして健康で居られること


だけで充分かもな。 それに家族を食わせていく事くらい、今の日本なら


どんな仕事をしたって健康でさえあれば何とでもなるしな・・・


そんな風に考えるようになっていたのです。 


すると不思議なことにお金だけでなく、色々な物事に対して執着心が、


無くなりはしませんが、金のあるふりもしない、誰かに媚びることもない、


見栄や虚栄心も当然要らない、無い物は無いと言えちゃうし、人が自


分をどう見ているかなんてのも気にならない。 物事に対する執着が少


なくなったせいか、やたら精神的に楽になりました。 


んと、、どうしたら執着心が無くなるかは分かりませんけど、執着心こそが


自分自身を辛くしているのは間違いありません。 皆さんなりに執着を


しなくなる方法を探せると楽に生きられるかもしれません。 事業を興し


人並み以上に収入を得ていた頃と、低料金の葬儀で利益も少なくて


当然収入も少なくなった今を比べると、胸を張って仕事をし、誰かの為


に自分が役に立て、相手が心底喜んでくれる今のほうが俺は好きです。



葬儀について・・・我想う



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僕自身がひとつひとつの葬儀を確認・反省・向上する為に書く実践日誌ですが、

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