こちらの記事。


いろんな人の

いろんな箇所に刺さったようです。

 

ありがとう。

 

 

このふたつに同じ日に触れたことで

 

私がここ数日

 

感じて、考え続けていたことは

 

 

 

 

ここにある「幸せ」と

私がいま「目指そうとしている幸せ」は

 

 

 

「今」

リンクしていないんじゃないだろうか。

 

 

そういうことだった。

 

最近、とみに思うのは

 

 

意識を変えずに

現実だけ変えようとしても

結局のところ、元に戻るし

 

意識を変えたら

望む望まざるに関わらず

現実は変わってしまう、ということ。

 

 

現実と意識

どっちからやってもいいし

 

やってみないと「合わなかった」がわからないのが

非常に面白いこの世のルールで

 

 

やらずに

「理屈では◯◯だから、やっても意味がない」として

 

自分の中の

いちばん最初の欲求を許可しないでいると

 

内側から徐々に、腐ってくる。

 

 

 

そのいちばん最初の欲求は

絶対にエゴまみれで

「自分がまず、いい思いをしたい」って欲だから

 

 

余計に、嫌がられるし

余計に、これじゃダメだって思ってしまう。

 

 

 

そのいちばん最初の「欲」を

 

自分で直視しないで

 

きれいなものだけ

うつくしいものだけ

求めても

 

そしてそれが手に入っても

 

「?」となるのは

 

 

手前にある

ゲスくて

どうしようもない

くだらない

みっともない

自分の「欲」

 

 

そっちが、『本当は』欲しいからだ。

 

 

その望みを抱くことを

まず、許可して

 

次に

それを叶えることを

許可して

 

 

そうやっていくことでしか

自分は、満たされていかないんだ。

 

 

 

 

 

抱いちゃいけない欲なんて

この世に何ひとつ、ない

 

 

 

 

 

 

 

今、私が目指していた「幸せ」は

そもそも、目指すようなものではなく

 

 

それこそ

敢えて

陳腐な言葉を使うならば

 

 

自分を生きていたら

自然と

 

たどり着くことになっていればたどり着くし

たどり着かないことになっていたら、たどり着かない。

 

 

なぜ、そう言い切れるかというと

人類が

いちばん、やりたいことは

 

 

「魂震わせて、自由に生きること」だから。

 

 

この瞬間に

 

魂震わせて生きられるなら

 

自由に自分を、生きることができたなら

 

 

その地点で「腹の奥底からの幸せ」を

感じ抜くことが、できるはずだから。

 

 

その「幸せ」が自分の中に

はっきりと、わかったあとに

 

 

なんでも好きなものを

取りに行けばいい。

 

 

それが「あってもなくても」

すでに幸せなのだから。

 

 

-----

 

 

「今」の自分を見つめ直すって

本当にすごいなと、日々思うてます。

 

 

自分責めがない状態でないとできないし

 

どこまでやっても終わりがないので

 

これはただの「趣味」です・笑。

 

ここまでやらないと

意識が変わらないわけじゃなく

 

「ただ、知りたいだけ」

 

 

 

昨日

「求道者」という肩書きをいただきました。

(遠藤エル命名・笑)

 

 

 

ぜっきーがやっているのは

 

自己探求ではなく

自己追求だと。

 

 

 

「探してるわけじゃない。

 まだ見ぬその先の自分と

 出会いたいだけなんだ」

 

 

いい言葉♫

 

 

 

そう。

私は、自分を探してるわけじゃない。

 

まだ知らない自分

私の中に眠っている自分

気づいていない自分に

 

ただ、気づきたいだけ。

出会い直したいだけ。

 

そしてその自分で何ができるのか、試したいだけ。

 

 

 

 

-----

 

さて本日も

ご多分にもれずに

朝イチから札幌へGO。



 

もちろんPERSONZのライブ!!

 

 

夜は、あけちゃんに会う予定。

楽しみ!!

 

 

 

明日は朝イチで東京に戻り

またトンデモなところに行ってきます。

 

 

 

ぜっきー