みんな放出しまくって死にかけた合宿(笑)
私は1日過ぎてから
ガツンと体にきました。
昨日は1日のんびりと体を休めてました。
参加者のあいさんと
ひろこさんからの感想。
受け取り力のすごさ
そして180度完全降伏状態なのが
とてもよく伝わってくる(笑)。
思考であれこれ動かすのを
潔く諦めて
身体や感情に沿う、って
自我でいると
なかなか難しいと思ってしまう。
他人という器を借りることで
自分では絶対に口にしないセリフを口にすることで
解放されるものがたくさんある。
そこに感情をくっつけて
さらに言葉に出すと
無意識の抵抗がどんどん生まれてくる。
朗読劇の中に
「やめて」と
「おいで」という
セリフがありました。
ここだけは
私が誘導して
感情を乗せて吐き出す、ということを
徹底してやってもらったところ
「やめて」ということがつらい人
「おいで」ということがつらい人
どちらも、いました。
やめてほしいって言うのって勇気いるよね。
嫌だと思ってること、飲み込む癖がある人は
言葉に出すだけで震えが起きる。
全拒否って、怖いんです。
もし同じこと自分がされたらどうしようって
そっちに意識が向いちゃうから。
そして
「おいで」という言葉。
遠藤エルが
「小さい頃の自分、昔の自分を呼んであげるイメージで」と
誘導しました。
すると
それを受け入れたら
被害者でいられなくなる、という自分が出てくる。
傷ついた自分
悲しかった自分
寂しかった自分
それを他人のせいにしたい!!と
まだ思っている自分がいる。
そういう無意識の被害者意識に気づき続けることって
一瞬しんどいけど
でも、そこにこそ
生きている意味があったりする。
手放す、と簡単に言うけどね。
できるもんならとっくに手放してる。
手放したくない理由はなに?
どうして?
そんな対話が目に見えるようで
みんなの言葉に乗った感情を感じながら
しみじみと
人のすごさを目の当たりにしました。
可能性、って言えばいいのかな。
まだまだ、蓋をしている人たち
まだまだ、無限の可能性を
ないことにしてしまう人たち
気づいてるけど
そっちに振り切ったら
抑えきれない「自分」に出会っちゃうから
それが怖いんだな。
それが
ちょろちょろ駄々漏れてる人たちの集団だったので
本当、面白かった。
「私なんて」って仮面が外れる瞬間を何度も見たよ。
「次回開催はいつですか」って質問もらってますが
遠藤エルの新作が
完成したらです(笑)
楽しみに待ってます。



