静寂さの意味を知らなかった。

 

 

自分の内側にある静けさが

こんなにも大事なものだとは

こんなにもすごいものだとは知らなかった。

 

 

走り続けて

価値あるものを創り続けて

発信もしてきて

それなりの立ち位置も得て

 

 

そこにもう一度行きたかった。

そこにもう一度立ちたかった。

 

 

あの感覚に戻りたい

戻れない。

 

 

それが苦しさの原因だった。

執着だった。

そのことがわかってなかった。

 

 

「自分の価値と、結果を結びつけるとしんどくなる」

この言葉はわかっていたし

知っていたし

それなりに意味を体感していたけれど

 

 

違った。

奥深さが。

 

 

 

 

あの快楽的の楽しさ

至福の喜び

 

 

「あー、楽しかったな」

「嬉しかったな」

そう、ひとつひとつ味わうこと。

 

 

何度も何度もなんども

繰り返して味わうことは

いいことだと思っていた。

 

 

 

 

Happyちゃんとの出会い

数々のたくさんの奇跡的な出来事

カフェの最終日に起きた大ミラクル

その後の劇的な展開も

JAGUARさんとの出会い

その後の大躍進

 

 

 

何もかも

全て嬉しかったし

何度でも思い出せるし

楽しいし

幸せ

 

 

味わうことは「いいこと」なんだよ。

 

 

 

ただ

それがずっと「頭の中に残ったまま」でいると

 

 

心が「そこ」に囚われ始めて

執着が生まれる、自然と。

無意識に。

 

 

そこにいたい、そこに留まっていたいという

快楽に酔いしれていたいという「執着」。

 

 

そうすると

そっちに意識が強く引っ張られて

頭の中がいっぱいになる。

 

 

そうすると

イマココに全く、いられなくなるんだ。

 

 

 

これは、余韻と言う名の「執着」だ。

 

 

 

 

そのことを瞑想の「静寂さ」の中で知った。

衝撃。

 

 

 

 

嬉しいことだけでなく

悲しいことも同じ。

寂しさも、喜びも、全部同じ。

 

 

この「引っ張られる」感じ。

この感覚がすごく不自由なんだ。

 

 

意識を一度全部、自分に戻してあげる。

ニュートラルな状態に戻す必要がある。

 

 

あの

上滑り感とか

最高に居心地が悪かったこととか

ざわついたこととか全部

 

 

これが理由。

これが、原因。

 

 

じゃあどうするかとか

じゃあそれをどうやったらいいかとか

 

そんなものも全部、ないの。

ないのよ。

 

 

「ああ、今日はこんな状態なんだな」

以上。

 

 

 

 

 

「うわ、とんでもないものを知ってしまった

 私、どんだけ自分、責めまくってたんだろ」

それが今日の感想。

 

 

 

 

 

 

ダメだもう

この気づきは

言葉でうまく表現ができません。

 

 

本日私は、語彙力を全て失いました。

 

 

 

 

 

あー、すごいもの知ってしまった。

 

感謝とともに。

 

写真お借りしてます

 

 

 

 

 

 

 

一度だけここで言わせて。

 

 

雑念やばすぎる人

辛くてしんどくて死にかけの人

人の投稿見ると落ちるから怖くてインスタ開けない人

途中まで成功して辛くなって止まっちゃった人

 

 

 

 

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