4月の末に、あり得ないチャレンジをした。

 

 

 

 

私は「助けて」が言えない人だった。

代わりに身につけたのは「大丈夫」という言葉。

 

 

 

「大丈夫だから」

そう言いながら

自分に呪いをかけていたのだと、今は思う。

 

 

 

 

今年に入ってから

今までやっていたやり方そのものが

徐々に通用しなくなって

 

 

いろんなことが

機能しなくなった。

 

 

 

私自身も

疲れることが多くて

とにかく、休みたくてひたすら休んだ。

 

 

 

そして

「魂生気質学」を作って以降

全くもって、私の創造の卵たちが

孵化しなくなった。

 

 

「今までだったら」こうすれば創造のエネルギーが動く。

そういう「今まで」が一切、使えなくなった。

 

 

 

焦ったし

不安だったし

どうしよう、が毎日出て来た。

 

 

 

エゴキンマンが囁き続ける。

「こんなことしてる場合じゃないぞ」

「ほらほら、早く何とかしないと人に迷惑かけるぞ」

 

 

 

でも、本当はどうしたい?を

自分に問い続けて

 

 

私は

動かないことを選んだ。

 

 

 

 

 

その結果

とうとう4月に一度、全てがショートした。

 

 

 

たくさんの人に迷惑をかけたし

一番身近な人にダメージを与えてしまった。

 

 

 

泣いて泣いて泣いて

死ぬかと思うほど泣いた。

 

 

 

 

私は「助けて」が言えない。

「できない」が言えない。

 

 

期待に添えない自分、と思われること

役に立たないと思われることが怖い。

 

 

そして結局

できなかった時。

 

「そんなに自分を責めなくていい」と

周りの人からどんなに言われても

私は自分を責めることを、やめられなかった。

 

 

 

2日間泣き続けて

「もう、こういう自分はいい!! やめよう!!」と心底思った。

 

 

 

 

ちょうどそんな時に

HTLでドンピシャな配信があり

私はそれを聞いて

 

「ああ、そうだった」と思った。

 

 

 

お金が足りない時

世の中のほとんどの人が

「背に腹は変えられない」と

無理やり、お金をなんとかしてでも作ろうとする。

 

 

 

私も今回

お金が足りなくなった時

「過去コンテンツ売ろうかな」と思った瞬間が

何度もあった。

 

 

たぶん、売れたし

たぶん、その時に必要なお金は手に入ったんだと思う。

 

 

でも私は

その時は、それを売りたくなかった。

 

 

 

 

それと並行して

私の現実に起きた

もうひとつのショックな出来事と相まって

 

 

 

「うまくいっているぜっきーさん」

「現実創造がやばすぎるぜっきーさん」

「ちゃんとしているぜっきーさん」

 

「だけ」を必要としている人たちは

もう、いらないと本気で思った。

 

 

 

私は

うまくいくこともあるし

現実創造がバンバンできる時もある

ちゃんとできる時もあるし

バリバリ稼げる時もある

 

 

 

でも

それと同時に

 

うまくいかないぜっきー

ダメなぜっきー

ポンコツなぜっきー

稼げないぜっきー

だらしないぜっきー

 

というものも、いて。

 

 

 

その半分

「闇」でもあるわたしを

いないことにするのは

やめよう、と。

 

 

ちゃんと

だめなぜっきーも

私として受け入れようと決めた。

 

 

 

というか

 

ダメなぜっきーを

デフォルトにしよう、と

この時、初めて心の奥底から思えた。

 

 

 

 

 

ダメがデフォルトなら

何をやっても大丈夫。

何をやってもすごいし

何をやっても素敵。

 

 

 

 

 

開き直りではなく

ただただ、そう思えた。

 

 

 

頑張るの看板を、本気で下ろそう、と。

 

 

 

 

 

「助けて」を言おうと決めて

じゃあ、どこに助けを求めようか?

 

 

 

 

 

私は

 

この一年

自分が心血注いで大切にしてきた

一番大好きな場所

 

 

自分のコミュニティの人たちに

「助けてください」を言うことに決めた。

 

 

なぜ、そこに決めたのかは

自分でもよくわからない直感だった。

 

 

いま一番ハードルが高いところ。

 

 

 

シンプロで出資してもらったお金も

うまく返せていない状態なのに

 

 

 

さらに「私にお金を貸してください」と言う。

頭を下げる。

 

 

ほんの少し前の自分でさえ

「絶対に、やらないこと」だったと思う。

 

 

 

怖かったし

怒られるの覚悟だったし

反応ないかも知れないし

誰1人いなくなるかもしれないな、とさえ思った。

 

 

 

それでも

私は

世界に対して

自分の信頼というものを、見てみたくなった。

 

 

 

 

 

世界は、自分。

自分が、世界。

私の信頼は、世界の信頼。

世界の信頼は、私の信頼。

 

 

 

 

私のこの行為は

ある種の「裏切り」と感じた人もいた。

 

 

 

「結局ぜっきーさんも他の人たちと同じ」と言う人

 

そこに関しては

謝るしかない。

期待に添えなくてごめんね、と。

 

 

 

「ぜっきーさんが見たい世界ってそういうものだったのか」と言う人

 

少し前の私は

見たい世界が違っていた。

今は、この世界が見たい。

だからこれも、ごめんなさい。

 

 

 

「ぜっきーさんだけが楽しんで、自分たちには何もなかった」と言う人

 

本当に、そうなのかな。

 

 

 

 

 

 

 

私に過度に期待していた人たちは

極端な反応をしたし

怒りも

罵倒もあった。

 

 

 

 

 

 

私に自分自身を見た人は

 

モヤモヤしたことをノートに書いて

こうなりました、って報告してくれたり

 

 

ストレートに自分が感じたことを伝えてくれた後

「こういうことか」とわかった、と

自分の糧にしていた。

 

 

 

ありがたいことに

「わかりました!!貸します」と言ってくれた人も

たくさんいたし

 

 

神ハヤシ買います!!と言ってくれたり

シンプロの出資、寄付しますと言ってくれたり

 

その他のいろんな提案をしてくれたり

 

 

「足りなかったらまだ出しますよ」と言ってくれたり

 

 

ふと思い浮かんだ音と

ピアノの音を繋ぎ合わせて作った小さな曲です、と

ピアノを弾いて録音して

気持ちを届けたくれた人もいて

 

 

「今、貸せるお金がないのが悔しい」と言ってくれた人までいて

なんかもう、1日で胸がいっぱいになるくらい

たくさんのありがとうを受け取った。

 


 

 

 

お金を貸してもらえたことも

本当にありがたかったし

 

 

毎日のように伝え続けていたことを

ちゃんと、受け取ってくれた人が

たくさんいたことが、何より嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

もうひとつ。

私が今、たまたまお金が回せない、という状態で

 

185人のコミュニティの中で

それを伝えて

こんな風に批判や非難を受ける、っていうことは

 

 

世の中全体を見たら

どれだけの人が

「お金」というもので非難を浴びまくるんだろう、と思った。

 

 

 

 

私は

本当に今、たまたまお金が回せなくなっただけであって

必ずこの後にお金を回せる時が、来るし

それは絶対に「ある」のに

 

 

それでもこれだけ言われるって

お金って本当にすごいものをはらんでるな、と思った。

 

 

 

 

 

そして

私は今回、お金というもので

今の自分の世界を確認したけれど

 

 

お金を得ることが目的、ではなかった。

 

 

 

 

 

今までで一番ダメな自分を

世界にさらけ出すことで

世界がどう見えるのかを、体感したくて

味わいたかった。

 

 

 

 

 

お金も、めちゃくちゃ助かりました。

言葉も、めちゃくちゃ嬉しくて泣きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この出来事全部が

「私の内側の反映」なのだから

 

 

過去の私が

厳しかった私が

監視の目を光らせてる私が

ちゃんとしなきゃと思ってる私が

 

 

 

別の形で現れただけのこと。

 

批判も避難も全部

過去の自分が自分に向けた刃。

 

ごめんね、と謝るし

もうそんなに自分を追い詰めなくてもいいよ、と言いたい。

 

 


 

 

 

 

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もうひとつの出来事。

 

 

あることがきっかけで

私の中の純粋な怒りがスパークした。

 

 

 

 

 

自分の仕事に対して

作品に対して

愛情と敬意を持っていたら

絶対に、やらないこと。

できないこと。

 

 

 

 

怒りって原動力になる。

強い強い力になる。

 

 

 

このことがきっかけで

今回のチャレンジに

踏み出すことになったので

 

そのことだけは感謝。

 

 

 

 

ぜっきー