【闇落ちからの気づきシリーズ・その1】

 

 

ここ数年の出来事。

 

 

浮かんでは沈み

浮かんでは沈み

 

 

その「波」を乗りこなすことに

意識の扱い方と

経験値と

 

 

検証と実践を繰り返して来て。

 

 

ちょうど

風の時代、というものが始まってからかな。

 

その浮き沈みのスパンと

沈んだ時の深さがものすごくて

しんどくて仕方なくなった。

 

 

一月単位だったのが

数週間になり

一週間になり

3日置きになり

1日置きになり

 

 

その分、よりしんどさが際立つようになった。

 

 

その都度

何かがきっかけとなり

動き出すことはできていたけれど

やっぱり、沈む。

 

 

そしてとうとう

沈み方がおかしくなって

 

ずぶずぶと

ゼリー状の何かに囚われるみたいな堕ち方をした。

 

 

もがけばもがくほど

それがまとわりついて

より深く堕ちる。

 

息苦しくて動けなくなる。

 

 

なんとかして這い上がろうとしては

またずり落ちる。

 

 

 

 

『苦しさやしんどさを感じているときは

 真実ではない』

 

 

 

それはわかっていたけれど

わかっているんだけれど

(アタマで)

 

思考の癖

前提の癖

自分への監視の目

 

それらがどんどん厳しくなって

身動きが一切、取れなくなった。

 

 

私の何が、こんなに私の足を止めているんだろう?

私の意識のバグはどこにあるんだろう?

 

 

そんな風に考えれば考えるほど

ドツボにハマる。

 

 

 

 

そんな折

ひとりの友人の名前が

ふと頭に浮かび

連絡をした。

 

 

 

私は

人を介して

いつもいろんなヒントを受け取る。

 

 

あれがああで

これがこうで

だからこれがこうなって

どれがどうで

 

 

現実の5パーセントに

ひたすら囚われまくっていた

『ただの小指に過ぎない』話を

うんうん、と聞いてくれて

 

 

あるタイミングで

こう言われた。

 

 

「私はどういう世界を見たいのか」

「私はどういう世界を創りたいのか」

 

 

 

今までいろんなものを作って来ていて

神ハヤシも数々のコンテンツも

 

 

一見、バラバラに見える「それ」も

実は根底で「ひとつのこと」に繋がっているんだよ、と

 

 

 

その

「ヒトツトコロ」

 

なぜ、私はこれをやっているのか

なぜ、私はこれを創っているのか

という

自己対話をしてみることだ、と

 

 

 

私の中にも「それ」がある。

 

そうか。

「それ」があるのか。

「それ」があったはず。

 

 

忘れているようなつもりでも

無意識でも

 

私の中に「それ」は存在している。

 

 

そこから浮上するまでに2日間を要した。

 

 

 

私の見たい世界は?

私の創りたい世界は?

 

 

 

私はより一層

より深く

今まで意識を向けたことのない深部まで

意識を向けてみた

向けてみたら

 

 

確実に「それ」はあった。

そこにあったのだ。

 

 

 

 

共生がまず最初に見え

楽園が、次に来た。

 

その後

過去の記憶が

パーーーーーーーッと開かれていく感覚があり

 

 

私は、泣いた。

ものすごく泣いた。

 

 

 

 

私が創りたいのは「ホーム」なんだ。

 

 

そのベースとなるエッセンスは

全て

師匠のパトリス・ジュリアン氏から

受け取っていて

 

 

最初に

彼の本を手に取った瞬間から

私の中に産声をあげたもの

 

 

何よりも「ホーム」を創りたい

 

 

彼が

サントル・フランセ・デザールという場所を創り

ル・ジャルダン・ドゥ・ジュリアンという場所を創り

 

 

そして

何度もお邪魔した

あの素敵な家で体感した

居心地の良さ

 

 

いつでも「わたし」に還れる場所。

いつでも「わたし」でいていい場所。

 

 

それを創りたかったんだ。

 

 

そこにあるものは

自由と共生と、そして安堵。

 

 

それを通して私が感じたいものは

「愛」

 

愛を感じることで

私が感じたい感情は「歓び」

 

 

本当はみんな、人を信じたい

本当はみんな、人を愛したい

 

余計なものを抱え込んでいて

それが見えなくなっているだけ

それが思うようにできなくなっているだけ

 

 

 

だから私は

安心して

存分に

自分の「愛」を知ることができて

自分の「愛」を表現することができる

 

 

そういう「場所」を創りたいんだと

ずっと創りたかったんだと

 

 

 

やってきたこと全てに「それ」があった。

何を私が世界に見たいか、は

 

本当はみんな「愛」でしかないってこと。

 

 

 

私が極端に人見知りだったり

人に境界線を越えられるのが嫌だったり

 

人にも自分にも厳しくなったり

人をすぐジャッジしたり

 

 

そういう私の「気質」が

なぜ私に存在しているか

 

 

それは

それを通して

私が「愛」を見たいからだ。

世界に「愛」を見たいからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パトリスさんのブログ。

日本在住中にのみ、書かれていた記事。

今、読み返しても響く言葉がいっぱい。

 

 

 

 


 

 

初めて会った日。

2004年4月23日。

「きちんと暮らす」出版記念講演会。

 

 

2005年2月20日、参加したトークショーで。

この日初めてパトリスさんに

「いつも来てくださっている方ですね」と

声をかけられる。

 
 
この写真展でひとり、号泣していたのはわたし。
 
この時、どうしても欲しくて
めっちゃくちゃ無理して買った店の写真は
離婚騒動の最中、相手の家に置き忘れてしまった。
 
 

続きます。