こちらの続き。
さて。
私の気質の話に戻ります。
それは「傲慢さ」でした。
・何でもできてしまう
・何でもやれてしまう
・それなりに形にしてしまえる
・全体を見るのが得意
・先読みが得意
・だから人に対して「なんでできないんだろう」と思う
・理解できない理由がわからない
でも
これを口に出したら
とんでもなく嫌な奴だと思われる。
文字通り「傲慢な奴」と思われる。
ここに対する
強烈な怖さがありました。
だから、できないふりをする。
わからないふりをする。
「私も
『できない人間だよ』
『そっち側の人間だよ』」というふりをする。
でも結局
どうしたって
できてしまうし
やれてしまう
鼻につくし
目立つし
ものすごく叩かれる。
口に出しても叩かれるし
隠そうとしても叩かれる。
じゃあ、どうしたらいいんだろう。
何をしたらいいんだろう。
そういうことを
人生で何度も繰り返して来ていました。
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少し遡って
この仕事を始めて
どんどん面白くなっていって
ちょうどカフェを手放した頃に
「万人ウケするもの」
「みんなに共通するもの」を
何としてでも作りたい、という
ものっすごいパワフルな望みが生まれ
「た」にも、関わらず
「私のやり方は、万人ウケしない。
なぜなら、世界の創り方が
ぶっ飛び過ぎていて
誰の参考にもならないから」
そう。
私の世界の創り方は
どこかしら
おかしい部分があるし
ぶっ飛んでるし
再現性ないし
「誰にでもできるものじゃない」
だから
「それに価値はない」と
勝手に判断した。
ここでもまた、自分の気質を100%否定したのです。
この頃は
「意識の使い方」や
「感情の取り扱い方」
日々やっていたし
面白いことが
次々起きていたけれど
「ワクワクしていたらうまくいく」
いくんだけれど
確実な再現性のあるものを
強く求めていた
自分の感覚に委ねることに
かなり怯えがあったからでした。
自分の中で
何がキモか
理解していなかった、とも言えます。
割愛しますが
そこから私は
「万人ウケするもの」を
外側の世界に探し求めて
取りに行って
そこでまた
ブレーキ踏みながらも(無意識)
アクセル全開に踏んで
やることやって
しかしまた
ここでも
万人ウケしなくて(当たり前だ・笑)
でも、味わい尽くすことはできるから
結果だけは確かに手に入るんだけど
「あれ? なんか違う」
っていう違和感を覚える。
エネルギーかけた度合いと
受け取るものに
なんか、落差を感じる。
ここでも私はまた
ループを繰り返していたわけです。
思い返すと
エネルギーのかけ方を
180度間違えていたわけで
真逆にしていただけなんだけれども
当時は理由が全く分からず
ただひたすら問答と
実験を繰り返していました。
私の「万人ウケするものを作りたい」というのは
大きな意味では合っていて
小さな意味では解釈を間違っていた
つまり、ダミーの望みになっていました。
私は
「万人ウケしないと価値がない」と思っていたし
同時に
「それは万人ウケする『教え』を作ることだ!!」と
勝手に解釈して
がんばっていたわけですけれども
私が「万人ウケするものを作りたい」と
そう、作りたかったのは
教えや学びではなく
ぜっきーUSJでした。
実は相当前から
「自分の村を作りたい」って
壮大な夢を持っていて
ブログにも書いてたし(6年前…)
↓
そのこと自体、忘れてました(笑)
しかもこの図、2012年に書いてるじゃないのさ。
そしてこれ
この「やりたいこと」
どうして長いこと
やれなかったか
できなかったか
やりたくないことにしていたか
その理由はもう
はっきりしていて
私の特異性
気質を受け入れていなかったから。
このひとことに、尽きます。
マジで。
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気質とは
・自分が既に持っているもの
・もともと持って生まれたもの
と、私は解釈しています。
でね
大抵の人は
「自分の気質が好きじゃない」んだよね。
だいたい、気質のせいで
嫌な思いをしたり
傷ついたりしたことがあるから
「これ、いらない」
「これさえなければ」
と、思っちゃうんだよね。
自分が憎い(笑)
くらいになる。
だから余計に
人の気質がうらやましく見えるし
輝いて見える。
「あれさえあれば私も輝ける」と思っちゃう。
実はここには
大いなるカラクリがあって
自分に今、すでにあるものを否定しながら
外側に何かを取りに行っても
全くもって、馴染まないのだ。
自分本来が持つ気質を
受け入れることなく
自分が心惹かれるものに
チャレンジしてみても
水と油。
一瞬、混ざったようにみえるから
ちょっとだけキラキラして見えたりするけれど
すぐ、分離する。
長くは続かない。
それって
セパレートドレッシングみたいなもの。
使う直前に
毎回振らなきゃならん。
つまり
もともと分離してるから
混ぜるために
力技系のエネルギー、使うわけです。
自分の気質を否定したまま
憧れてるものをやってみても
自分も疲れるし
あまりウケないし
文字通り、スベる。
その結果
「ああやっぱり私は
価値がないんだ」
って意識になっちゃう。
そうじゃない。
まず真っ先にやることは
ただひとつ
「自分の気質を受け入れること」
それは
「ないものは、ない」
と一度諦めることでもあるし
諦めるの語源は明らかに見る
つまり自分をちゃんと見ろってこと。
自分は自分なんだ、と
受け入れることでもある。
これって究極的に
自分への深い愛、になると
私は思うんだけれど。
つまり
ひと昔前に流行った
「ありのままの自分でいい」っていうのは
この
自分の気質を受け入れて
極め尽くす覚悟、ってこと。
私は小さい頃から
ものすごく自己否定が強くて
自分の中の「何」を認められたら
自分は幸せを感じられるんだろう
これをずっと考えていた。
答えは、ここにありました。
おかしいな、三部作で終わるはずが(笑)
あと一回(多分・笑)続きます。