前回の記事。
書いた後にもまた気づき。
うーむ、深い、とひとり頷いております。
より一層「今ここ」しかないし
より一層「全てが喜び」でしかない
だとしたら。
やること、やめることって
とてもとてもシンプル。
そしてこれが一番「難しいと感じる」んでしょう。
私はものすごく自分に厳しいので、他人にも厳しいほうです。
↑
この解除のアプローチ方法って
「自分を許す」か
「他人に優しくなる」か
どちらか。
どちらも自分の世界である、ということが腹落ちしている人ならば、この理屈はわかるでしょう。
でも
「他人に優しくなる」ことが
自己アピールとか、自分悦、ドヤに繋がってる人は
他人と自分が分離している。
ほら、こんな優しい私見て
だし
ほら、こんないい女の私どう?
だし
だから自分不在のまま
世界を創り続けている。
だから、自己解離が甚だしいのだ。
そして究極は
この「ものすごく自分に厳しいので、他人にも厳しい」私にまるっとそのままOKを出すこと。
これがもう、苦行以外の何物でもない。
そんなわけで昨日の
「簡単とは」
「難しいとは」
に、しました。
「自分を許す」って
「自分を責めないでいる」って
「どんな時も自分の味方でいる」って
ものすごく、大変で難しい事のように感じる。
だとしたら「難しい」の前提を全部書き換えてしまえばいいだけ。
「難しい」と思うその気持ちを、明らかにすべし。
(そして「厳しい」の前提も見るとよろし)
書き出しワーク練習帖の「単語書き換え」の
凄いところはここの部分で
「あ、ハードル高いな」と思ったら
その場ですぐ書き換えができること。
しかも自分一人で。
私は、言葉を使うことがとにかく好きなので
言葉の意味、前提を見直した方が
圧倒的に世界の変化が早い。
そして言葉と意識そのものを併せて使うことで
自分の世界の見え方はどんどん変わる。
やることは「自分を許すこと」
やめることは「自分に厳しくすること」
これしか、ないのだ。
そして自分に厳しい私をも、どんどん受け入れていくことなんだな♫
世界は甘く、優しいか
世界は辛く、厳しいか
それは、あなたの見方次第。
どんどん簡単に、どんどん軽くなろう。