「勝ち負けをやめよう」

「対等・調和の世界にいこう」

 

 

ここに気づいて、たどり着くまでの道は確かに長かった。

 

 

 

西遊記のようだ。

私は絶対、猪八戒は西田敏行派。

左とん平が嫌いなわけではないけれど、やっぱり西田敏行派。

 

 

 

 

 

ただね。

長かったなぁ、大変だったなぁ、というよりも

 

「あ、なんだ。全てどこにいても幸せだったんだ」と気づいた。

 

そしたら、全部今までの道のりもオッケーだったんだ、とわかった。

 

 

そういう感覚です。

 

 

 

 

 

「あの頃は大変だったけれど、今は幸せだなぁ」ではない。

「昔が負けで、今が勝ち」ではない。

 

 

あの頃の自分を、マウンティングして、優越感に浸らない。

あの頃の自分と比較して、今の幸せを味わうのはやめる。

 

 

何か外側にあるものを得たら幸せ、だと思い込んでいたけれど、全くそうではなかった。

すでに全部、最初からあった。ただ見ていなかっただけ。

そこに気づくことなんです。

 

 

 

 

 

 

 

外側の要因で、幸せを計らない。

 

 

私の幸せ、環境次第。

私の幸せ、親次第。

私の幸せ、子供次第。

私の幸せ、仕事次第。

私の幸せ、旦那次第。

私の幸せ、恋愛次第。

私の幸せ、成功次第。

私の幸せ、数字次第。

私の幸せ、お金次第。

 

 

 

 

 

 

そんなもん、全部捨てちまえ。

一切必要ない。

 

 

 

 

 

私の幸せは、いつだって、私次第でいい。

私の幸せは、いつだって、私が決めていい。

 

 

 

 

他の誰かや環境や世間の常識なんてものが、あなたの幸せを決める?

それ本当?

 

 

それをそもそも、疑えよ、ということ。

 

 

 

ありのままの自分っていうのは「今のままのあなた」じゃないんだよ。

 

 

 

 

今のあなたが「幸せを感じられていない」のだとしたら

その前提を、自分が信じ込んでいる世界を、その見え方を、あり方を、全部疑え。

 

 

全部の答えも、謎も、そこにあるから。

むしろ、そこにしかないから。

 

 

外側どんなに探したって見つかるわけ、ないんだよ。

 

 

 

 

先日「自分を甘やかす」ということについていろいろ語っていた時、実に深い気づきがありました。

 

 

 

私、長いことずっと「プライドの高さと自分への甘さは比例する」と思っていた。

 

 

 

プライドが高い人は、外部への攻撃性が高くなる傾向にあるから、自分には甘々なんだろうな、と思っていた。

 

 

自分に「だけ」は甘い。他人に厳しいという構図ね。

「私だけを愛してよ」の変形バージョンともいう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところがこれがどっこいどどんちょ!!!!!!

↑この元ネタわかる人おるんやろうか…

 

 

 

 

 

 

 

 

プライドが高い人は自分の甘さを、全く違うところに使う。

 

 

 

自分への甘やかしを、外側に使う。

自分への甘やかしを、自分のごまかしに使う。

 

 

 

「自分と向き合う」ことに関しても「こんくらいでいいや」と、甘やかす(ごまかし)。

「自分と対話する」ことに関しても「この程度でやったことにしとこう」と、甘やかす(ごまかし)。

 

 

 

その根底にあるのは

 

「だってわたし、できてるもん♡」

「こんなもの深くやらなくたっていーもん♡」

という、勘違いご自愛の極み。

 

ここにプライドの高さが存分に発揮される…という衝撃。

 

 

 

プライドの高さゆえに、自分が見つめられない。

私はこんなもんじゃない。

だから、認められないから、明らめられないという構図。

 

 

 

その甘さは、優しい甘やかしではない。

むしろ自分をどんどん追い込む甘さ。

 

 

それを見たくないために、さらなる知識をつけようとするごまかしも、加わってくる。

 

 

 

そうすると、何が起こるかというと

 

 

 

 

「自分に謝れなくなる」

「自分に感謝できなくなる」

「自分にありがとう、って言えなくなる」

 

 

 

人に謝れないどころか、自分に。

人に感謝できなくなるどころか、自分に。

人にありがとう、っていえなくなるどころか、自分に。

 

 

 

 

ごまかしまくってるから、どんどん濁ってくる。

見たくないからと蓋をして、開けたくないから開かないように重石を増やしていくけれど、内側は腐って発酵して、ガスが溜まってある日突然爆発する。

どうにもならなくなる。

また、周りのせいにしたくなる。

 「どうして私ばっかりうまくいかないのー!!!!!!!!!」と、吠える。

 

 

 

 

いやいやいやいや。

待て待て待て待て。

全部自分がやってることだよ。

 

自分見たら、全てわかるんだから、それ、いらんやろ。

その甘やかし、不要やろ。

 

 

見ないから、見たふりしてごまかしてるから、肝心の時にしんどくなって泣くんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今ここ」からすぐに全力全開で幸せでいる、と決めたってなんの不都合もない。

 

むしろそこからが、本当の意味での至福のはじまりなのに

 

 

 

 

なぜ、どうしてそんなにも、外側のせいにして、受取拒否し続けるのだ?

 

 

 

 

人間は自分のもっている自由は決して行使しないで、

自分のもっていない自由を要求する。

彼らは思索の自由を持っているが、

表現の自由を要求する。

 

 

 

ほんとうに黙することのできる者だけが、

ほんとうに語ることができ、

ほんとうに黙することのできる者だけが、

ほんとうに行動することができる。

 

 

 


セーレン・キルケゴールの言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

自分を見るのが怖いのは、

自分にがっかりしたくないから。

自分に絶望したくないから。

つまらない、くだらない自分を、ちっぽけな認めたくないから。

 

 

絶望とは、望みが絶たれることじゃない。

 

 

 

極めて、望みを明るく照らし出すため

自らをより、浮き彫りとするための

愛ある行為だ。

 

 

 

 

 

 

ただ己を見つめ、己と対峙せよ。

常識に囚われず、風潮と妥協せず、自己のあり方を、自らの意思で能動的に選ぶ生き方ができる人であれ。

 

 

 

 

 

【お知らせ】

 

4月・5月に、全2回の「ノートワーク大全セミナー」を開催します。

 

宇宙の真理の話から、外側と内側の仕組み、勝ち負けの世界と調和・対局の世界の見え方の違い、なぜ書き出しワークがこれほど効果的か、自分を愛することが現実に反映されるの仕組み。

 

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超・現実的な理論、そして超・実践的なワーク盛りだくさんの、他にはないセミナーです。

 

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さらに。セミナー開始から6月までの間、フォローアップとして専用公式LINEをご用意します。

2ヶ月間みっちりと、よりコアに迫るノートワークのお題を出していきます。

 

 

募集開始は来週中を予定しています。楽しみにしていてね。

 

 

 

 

 

 

良き夜を♫